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カテゴリ:砂丘館( 59 )

毎年この時期、定点観測的につづけているmikkyozの特別展示は今年で4回目。

「見る、聞くということはどういう意味を持つのか」
をテーマに2009年から活動をする2人組は、日常生活で目にするものを題材にしつつ、写真や映像、
ノイジーな音などで、その日常を微妙にズレさせるような表現する。
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これまでの展示では、その題材や手法の何気なさ(悪く言えば凡庸さ)から、
普段、個の強い表現を見慣れているこちらとしては、少々物足りなく思うことも、正直あった。
けれど4回目の今回。
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見続けてきた効果というのか、作り手の変化なのか、くっきりとmikkyozのカラーが見えてきたような気がする。「日常」と「ズレ(異質さ)」の境にある曖昧さから凡庸さが薄れ、ありふれた題材からもきりりと作り手の視点が際立って感じられるようになった。

その違いは、題材(素材)やメニューには劇的な変化はないのに、料理の味付けがビビッドになったというのか。
分かるような、分からないような、その微妙な変化がまたmikkyozらしくもあり。
とにかく心地いい二階のソファで静かに強くなった映像を眺めながら、赤子の顔の中から人相がある日、にゅっと前に出てきたことを思い出した。
(小)

特別展示MIKKYOZ008
2015.1月21日(火)〜2月1日(日)
月曜休館 観覧無料
会場:砂丘館 ギャラリー(蔵) 1階写真展示 2階映像上映

mikkyoz HP  ※過去の映像作品もご覧いただけます
by niigata-eya | 2015-01-31 12:42 | 砂丘館
さいきん、かっこいいおじいさんをよく見かける。
もしくは、おじいさんとはかっこいいものなのかもしれない。
という気持ちに目覚めた。

バスの窓から若い男子を見つけて、わぁ〜かっこいい!!☆☆などと思うことはまるでなく、
かっこいいおじいさんを見つけてときめいているとは、これはいったいどうしたことか。

年をとったからなのか、
単にちまたにかっこいいおじいさんが増えているからなのか、
おととし、おじいさんの死にざまをみたせいなのか、
自分でもわからない。

ひとつ言えるのはこちら、
「児玉晃の自画像展」に出合ったから。
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「老・病・死」に向き合いつつリアリズムの観察眼と手法で描かれた絵から
みなぎるのは生きていることのエネルギー。
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死が近くなるとき、生もまた際立つ。
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自分の生をまっとうするとは、尊く、おそろしく困難で、勇気のいるものだ。
あらゆる体験を乗り越えてきたことの気骨。
と、ユーモア。

年をとってもかっこよくなれない人は、人生への覚悟が足りないのかもしれない。
ひとつの選択肢としては仕方ないものだけれど
(と言い訳している時点でもはや自分の考えとは違うのだけれど、)
自殺なんてかっこわるいと言える世の中に、はやくなってほしいものだ。
(小)


「50人のわたし 児玉晃の自画像展」
2014.10月9日(木)〜11月9日(日)
9時〜21時 休館日:月曜日(ただし10/13・11/3は開館)、10/14、11/4
会場:砂丘館 一階全室+ギャラリー(蔵)
観覧無料

★10/26(土)14時〜 ギャラリートーク「児玉晃と自画像の思い出」
晩年、児玉の自画像制作のための写真撮影にも協力してこられた妻・美子さんをお迎えし、思い出や製作などについてお話を伺います。参加費500円。

★作品撮影から編集までを砂丘館で手がけた遺作画集「50人のわたし 児玉晃の自画像」が刊行されました!
企画展と合わせて必見の内容です!!
会場でぜひお手に取ってご覧ください。
新潟絵屋にて通信販売もお受けしています。
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by niigata-eya | 2014-10-24 16:47 | 砂丘館
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色紙に岩絵の具という日本画の画材を用いながら、フューシャンピンクにパステルブルー…
明治生まれの画家とは思えない、若々しく、ドリーミーでファンタジックですらある色使いと筆運び。
ゆらゆらとめぐる雲。黄、朱、青に染まる峰。

本人は洋画家と称した吉田光の描いた富士山と剣や立山など、日本の山々の作品が砂丘館の蔵で展示されています。
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先週、会場で吉田光さんへのレクイエムをこめて演奏して下さったギタリストの辻幹雄さんが、

「吉田光さんは富士山を描いてはいるけれど、
 富士山のその向こうにあるものを描こうとしていたのではないか」

「ひとにわかりやすいものに価値があるのではなくて、ひとの理解の及ばないもの
 =人知を超えたものにこそ価値がある」

とおっしゃっていたのが印象的でした。

どれ一つとして同じもののない、一枚一枚ちがう富士山。
「自分は現実を絵に描いている」と吉田光さんは生前息子さんに語っていたのだとか。
そこにはどんな思いが込められていたのでしょう。
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蔵の2階はそんな吉田光さんの作品に触発されて、全方位3Dのように山々が取り囲むような空間展示に。
山にのぼった時のような心身ひらく自由さが感じられる空間となりました。

生前一度も個展をすることなく、生涯を終えられた画家の初個展です。
ぜひご覧ください。
(小)

□会期最終日には、作品を所蔵されている吉田光さんの次男・吉田文明さんにお話を伺います。
ギャラリートーク「父の思い出」
7/6(日)15時〜 参加無料(予約不要、直接会場へ)
お話の後は、文明氏夫人・吉田久江さんによるスコットランドの古い民謡の歌もあります。

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特別展示 吉田光 富士山と日本の山
2014年6月24日(火)〜7月6日(日)
9時〜21時 月曜休館 観覧無料
会場:砂丘館ギャラリー(蔵)
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by niigata-eya | 2014-07-04 14:57 | 砂丘館
「『洲之内徹と現代画廊』と2人の画家」展、後期は茨城県龍ケ崎市に生まれ、霞ヶ浦や利根川の風景を描いた画家・川北英司。
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佐藤清三郎も川北英司も生まれ故郷に住み、その地を描き続けたという点で共通している。
1歳違いの2人の画家は、けれど、33歳で戦病死した佐藤清三郎に対し、川北英司は20代後半に結核療養のため画業を断念。
全く絵を描かない30年の後、50代後半になって制作を再開し、洲之内徹に出会い認められるという対照的な人生を送っている。
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今回の展示でもう一つ、ふたりの画家を結ぶもの。
それが、洲之内徹が気にかけ、エッセイの題材ともしていた新潟郊外の潟(湿地)と利根川流域の内水面交通のこと。
(詳しくはDM内O氏の文章を参照→

水路や水辺、ゆたかな水に恵まれていた日本の、新興住宅街へと改造される以前の今はもうない自然の姿。
その貴重な記録としても特別ふたりの画家の絵は、実直に対象を見続けたまなざしの深さと郷土への慈愛のようなあたたかさを持っている。

絵とともに飾られた洲之内徹の文章を読み返してみれば、そのような、一枚の絵から描いた画家また画家の住む土地へと拡がる尽きせぬ深い興味と共感が語られる。
ただ自分の「眼」というものを頼りに、絵を見、ものを考える。
自分の視点に自信が持てず、周りの意見に惑わされそうな時、ひとの評価や名声でなしにただただ見つめ向き合い感じ入ることの大切さを、胸がしびれるような文章で説く洲之内さんは、はなはだすごい人だと、やっぱり思う。

ガイドの手を借り、少し遠くから眺めた川北英司の絵は、ほんとうに銀色の光を放って輝き揺れていた。
(小)
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「洲之内徹と現代画廊」と2人の画家
【後期】川北英司展

2014年5月14日(水)〜6月8日(日) 
9:00〜21:00 観覧無料 休館日:月曜日
by niigata-eya | 2014-05-29 19:34 | 砂丘館
新潟市美術館で開かれている「洲之内徹と現代画廊—昭和を生きた目と精神」巡回展に合わせ企画された、砂丘館での「『洲之内徹と現代画廊』と2人の画家」展。
約2ヶ月にわたった会期も間もなく10日余りとなった。
前期は砂丘館の建物としては3回目となる、新潟市出身の画家・佐藤清三郎。
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昭和初期、まだ堀や潟や路地が多く残る新潟の風景やそこに生活する人々を、おなじ一市民、無名の生活者としての視点から描いた。
今回の展示では、新潟の古地図とともに、清三郎の生きた時代の新潟をたどる試み。
往時を知らない世代も、知っている人も、その絵が描かれた時代を想うとき、また絵の深みも増して伝わってくるように思う。
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清三郎の絵を見てあらためて感じたことは、絵はタイムカプセルのような力を持っているということで、描かれた風景や人やその気配から、空気の匂いや湿度、その時代にしかない時代の空気のようなもの、が、紙やキャンバスや絵具や絵の筆の質に、こもっていているのだなあということ。
経年変化のその変色や画材の変化も含めて、絵が語る“時”は、流れてきた時代と、そこにあった時代に見る人を誘う。

感想ノートには、美術館から流れてきたお客様が、「旅の最大の収穫は清三郎の絵に会えたこと」「佐藤清三郎の物を真摯に見つめる思い、絵に自分の全人生をぶつけようとする思いが伝わってきた」「絵が一つ一つ息をしていて語りかけてくるよう」などと書いて下さり、
描いた人の心情や精神までも含めて、描かれたもの(絵)には宿り伝わるものだと、思いうれしくなった。

実は、会場となった砂丘館のお屋敷も、佐藤清三郎の絵が描かれたと同じ昭和初期の建設で、
同じ時を経てなお残り古びてきた者同士が相乗して、洲之内徹も惹かれたひとつの時代の象徴としての空間を生み伝えてくれたのだと思っている。
(小)

「洲之内徹と現代画廊」と2人の画家
【前期】佐藤清三郎展

2014年4月12日(土)〜5月11日(日) 
9:00〜21:00 観覧無料 休館日:月曜日
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by niigata-eya | 2014-05-29 19:25 | 砂丘館
野中光正さんの個展も終盤にちかづいてきた。
新潟絵屋は10日まで。砂丘館は23日まで。

どちらの会場も、日本家屋の空間の“質”と、野中さんの絵の“質”が、ここちよく響きあっている。

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野中さんがいま制作の主体に置いている木版画の作品は、和紙と版を使って生まれる。

和紙は楮(こうぞ)という植物から、版は木から。
どちらの材料も、障子や柱を内包する木造家屋と同じ元から生まれる。

それゆえなのか、野中さんの作品と会場となった家は、まるで同じ腹から生まれた全く性格の違う兄弟のようで、とても似ているけれどもどこかが違う。
ぴったりではないけれど、合う。
というお話が、先日のギャラリートークであった。
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そんな性格の違いが時には齟齬やぶつかりをも見せる、家と作品という兄弟の同居(コラボレーション)を実現させたのが今回の展示というわけで、砂丘館での3日がかりの展示作業は、できあがりはごくシンプルながらも、これまでになく、頭を悩ませるものだった。
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野中さんの作品のなかにある、色や形や質感、その声を聴き、また、飾られる場となる家の声を聴く。
特に蔵は、それ自体が野中さんの作品となるような、作家性や絵の個性に相通じるような感覚を目指した。
試行錯誤の末、生まれた空間。
ご覧になったみなさんは、いかがだったでしょうか?

見れば見るほど、野中さんの絵には色の奥に色があり、形の中に形がある。
そして、それぞれの色や形の中に、紙(植物)や版(木)、そして絵具という“水”が作るさまざまな質感が宿る。

今回の展示でO氏とわたしが頭を悩ませ楽しんだ、それらをバランスすることを、野中さんはいつも感じながら、作品をつくっているのだろう。
ここちよく胸の中を揺らす心地に誘われ、いつまでも絵の前に佇んでいたくなる。
(小)

野中光正展
2014.2月20日(木)〜3月23日(日)
月休 9時〜21時
会場:砂丘館 ギャラリー(蔵)+一階全室
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△蔵 映像:遠藤龍、音響:山倉淳 
△蔵 写真:遠藤龍

たちどまりゆくもの
とおりすぎてゆくもの

いまいるわたし
かつていたわたし
いつかどこかにいるわたし

こことあそこ

記憶のこんせき
未来のむそう

あすもそこにある場所
いまはもうない場所

しびれるように、脳にしみこむ音がして

重なり、つらなり、

すべてのことは、ふりかえればみな同時に起こっている

(小)

●特別展示 mikkyoz 007
2014.1月21日(火)〜2月2日(日)
9時〜21時 月曜休館 観覧無料
会場:砂丘館・蔵(ギャラリー)

目の前で繰り返される物事から日ごとはぐらかされることに
ちょっとした嫌気を覚えながらも、
かろうじて身を寄せることができるのは映像などという不自由なものです。
自分の足下をとりこぼすことなく表現できる言葉を未だ知らない自分にとっては、
映像が世界からの引用である限りにおいてそこに身を寄せ、
見ることを始めるのです。
唯一向かい合えるのは状況という不確かなものではなく目の前の事物のみで、
それ故に、目の前から目を逸らしてはいけない。

見ることを始めるために。
(mikkyoz)
by niigata-eya | 2014-01-28 21:36 | 砂丘館
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5年前、34歳で亡くなった、内野雅文さんの写真展。

日々垂れ流される画像や情報の渦のなかで、内野さんのスナップ作品は、それほど大きなインパクトを持たない。
まち、ケータイ、こども、電車、季節、日常—ごくごく普通に、私たちが毎日の中に目にする、よくある光景のひとつ。を、とらえたに過ぎない写真のようでいて、その作品にはいつも、どこかに既視感があり、内野さんの“個”を特定する特別さはないようにも見える。

けれど改めて、砂丘館の入り口から、順番に飾られた内野さんの作品をなぞって見てみると、じーっと見つめたその画面には、ふわふわと浮遊するような、内野さんの旅の空気や気配、街を歩きながら撮影した、スナップショットの一瞬の、その数分の一秒の“間”のようなものが感じられて、そこに内野さんの姿を浮かび上がらせる。
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写された対象から少し離れて存在するのは、通り過ぎていく人と場所と時間を生きていた、永遠に着地しない、歩きながら浮遊するような内野さんの、撮影者としての感覚や眼差し。
その視線を感じていると、塗り重ねていく絵とはまったく違った「写真」という媒体そのものが、そのような、「浮遊し通り過ぎていくもの」でありつつ、画像という物体に「着地する」という、相反する側面を持った、奇妙なものに見えてくる。

あまりにカメラや写真や撮影が、安易に容易に身近なものになりすぎて、その行為自体を、手軽で、特に努力もいらない容易いものと、自分はいつしか厳しい目で見つつも、軽んじてしまっていたような気がした。(小)

内野雅文 写真展 とどまらぬ長き旅の・・・
2013年11月19日(火)〜12月15日(日)
会場:砂丘館 観覧無料
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by niigata-eya | 2013-12-08 06:23 | 砂丘館
それが絵であるかどうかは、もはやどうでもよく、
目をこらして画面を見つめれば、
その空間の只中に、意識はただよい、浮かぶ、
ふたつの内的な宇宙。
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けれど、それが絵であるのだと思うとき、
平面のなかにある奥行きの深さに息をのむ。

宇宙とは果ての無いふかい孤独。
けれど無限の拡がりと解放もある。

そんなことを思う、ふたつの寡黙な世界。(小)


「特別展示 平野充・栗田宏」
会場:砂丘館
2013年10月16日(水)〜27日(日)
9時〜21時 会期中無休 観覧無料
蔵の1階で平野充、2階で栗田宏の旧作を紹介しています。
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by niigata-eya | 2013-10-27 10:58 | 砂丘館

●スウェーデンからの波

西大畑・旭町界隈にある砂丘館・安吾風の館・旧斎藤家別邸・北方文化博物館分館・新潟大学あさひまち展示館の5施設で、スウェーデンの現代美術作家10組による展覧会が開かれています。
5館が連携して一つの展覧会を開催するというはじめての試みで、それぞれ魅力ある5つの歴史的建造物とスウェーデンのアートを、街歩きをしながら楽しめる企画になっています。


砂丘館では控室・奥座敷・蔵(ギャラリー)・庭の4か所を会場に4作家の作品を展示。
なかなかにコンセプチュアルで、解説がないとちょっとわからない、、という方もいると思いますので、今回は作品紹介を。

1.ヘレーナ・ヒルドゥールW「色」(控室)

5枚一組の作品と、2枚組+1点の作品を和室の床の間に展示しています。
今回来日されなかったヘレーナさんは、メールと写真のやり取りで、今回の展示方法を指示してくれました。
左手の5枚組の作品はグリーンの色彩が5段階で描かれ、右手の3枚は銀、グレイ、黒の3色の調和を表しています。
そして、下に置かれた笛は、見学に来ていただいた方が自由に吹けるようになっています。

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—色は、匂いや音楽によく似て、限りなく知覚可能で、時空を超えて感覚に訴えるもの—(パンフレットより)
その微妙な、繊細な、うつろいや混じり合いをヘレーナさんの絵は表現しているようです。
作品の中には金箔なども使われていて、遠いスウェーデンで描かれた絵なのに、不思議とこの部屋にしっくりとなじむ、
日本人の感覚にも寄りそうような心地を覚えました。



2.アンデシュ・ロンルンド(奥座敷・庭)

今回、来日して滞在制作を行ってくれたアンデシュさん。庭では、新潟大学の学生ボランティアの皆さんとともに制作した作品「ダンス」を、そして奥座敷では映像作品「亡き父は私にネクタイの結び方を教えてくれる」を展示しています。

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いずれも今回の展示のテーマはアンデシュさんのご両親がモデル。
「ダンス」をしているご両親の写真がありますが、これには実はとても重要で素敵なエピソードが隠されていて、トークイベントの際に、そのことをアンデシュさんがお話してくれました。
映っているご両親は今はもう亡くなっています。
映されたときは、お父様は80歳くらいで病床にあり、一日のほとんどを寝て過ごしていたそうです。
そんなとき、付き添われていたお母様が突然、お父様に「あなた、ダンスを踊りましょうよ」と言ったそうなのです。
そうして踊られたラストダンスをその場に居合わせたアンデシュさんが映像に収め、それをもとに写真に起こし、そのステップをコマ送りに粘土の上に型取りしたものが、この「ダンス」の作品の原型になっています。

約1年後、お父様は亡くなられ、しばらくしてお母様も亡くなってしまったのだそうです。
屋外に置かれたこの粘土のベンチは、風雨にさらされ、陽に照り付けられ、粘土は崩れ、ひび割れ、その「ステップ」の跡も次第に薄れ、消されてゆきます。
—同じままであるものは、何一つなく、自然の変化は私ではどうすることもできないこと—

「お葬式の席で、自分が一番の最年長であることに気づき、その中で自分が何をしていかなければならないかを考えさせられた」というアンデシュさんの、そんな思いが込められています。

(続く)