カテゴリ:砂丘館( 58 )

近くて、遠い。

向かいあっているのに、見えない。
となりあっていながら、隔てられたもの。
―「対岸」

そんなテーマで1年の準備期間を経て始まった阪田清子展(会場 砂丘館)も会期終盤。

ひとつぶずつ、阪田さんが手作業で積んでいった塩の結晶は、
日本海の海水から濾され煮詰められ、長い時間をかけて形となったもの。

その立方体が大事な手紙や金時鐘さんの詩の文字の上に置かれ、
意味から私たちを阻み、遠ざける。

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涙の結晶?
海の記憶?
人間の体内には約100gの塩が存在し、体重の3分の2は水でできているという。
塩からどんなイメージが生まれるだろうか

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――金時鐘さんの長編詩「新潟」は投瓶通信。
誰に届くかもか分からない手紙のようなもの。
もしかしたら、あるかどうかもわからない、未来の自分に宛てたものだったかもしれない。
対岸の新潟で、漂着物のように、阪田さんはそれを受け取った。

その文字の上に塩の結晶を置くとは…海に還そうとでもしているんでしょうか?…――

金時鐘の「新潟」を新潟で読むセミナー第1回の講師として来られた
細見和之さんは、そんな風に語られた。

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阪田さんの作品にあるその粒を見ようとすると、
自然と身をかがめることになる。
その先にある文字(意味)を見ようと塩の粒とおなじ目線に近づくと、自分の意識はどんどん小さく無になる。

小さくなった身体で何かを見ようとすること、向き合うこと、
見えないことをあきらめず、知ろうとすること、
ひとつぶずつの文字を読むように、塩の結晶を置くように、他者へと近づいてゆく…
そんな姿勢こそが、阪田さんが今回示したかったことなのかもしれない、とその姿勢になってみて初めて気づいた。

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隔たれても、見えなくなっても、
その意味があなたのこころに残るなら

そして、よもや燃やされたとしても、
本当の詩は消えない。
誰かがそう言っていた。

阪田さんの往復書簡もまた、誰かへと届いたことだろう。

(小)

阪田清子展 対岸―循環する風景
開催中~10月2日(日)まで 9時~21時
休館日:月曜日(9/19は開館)、9/20・23
2016年3月15日から27日までの2週間、盛岡市中央公民館で「児玉晃の自画像と母の像」展が開催された。主催は「児玉晃の自画像展実行委員会」、共催は盛岡市教育委員会。
協力砂丘館、認定NPO法人新潟絵屋。

展示と撤収と会期半ばのギャラリートークのために都合3回、盛岡に行った。

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展示内容は一昨年砂丘館で開催した「50人のわたし 児玉晃の自画像展」に、北上市ほかが所蔵する児玉さんの母児玉澄(すみ)さんの肖像5点を加えたもの。

この母の像がすばらしかった。
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95歳から100歳を越えるまでの母の姿を、文字通りリアルに描いたものだが、その一点の裏には「私のモナリザ」と書かれていた。
しわに包まれて縮んでいく母の姿に、いとしさと美しさを、児玉さんは感じていたのかもしれない。

母の像の制作と重なりながら、児玉さんは病で体重が激減し、薬の副作用で変形する自分の姿を「リアリズム」のレンズを通じて記録するような自画像連作を開始し、
亡くなるまでの十数年で40点以上も描く。
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ときに顔をゆがめ、裸の人体標本になり、磔にされたキリストに自分を重ね、枯れたすすきとともにこぶしをふりあげたりする自画像群。

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人は消えて、絵が残る。その不思議を会場で実感した。

直接お会いした児玉晃さんと自画像の児玉さんが
今では同じような重さで、存在感で、自分のなかにある。

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連日60人以上の方々が絵を見に来て下さり、新聞にも紹介され、盛岡の美術館からのうれしい反応もあった。
新潟、東京、盛岡と児玉さんゆかりの3つの地で開催できた自画像展。

すべては児玉美子さん(奥様)の理解と支えがあってできたことだった。         
(O)


砂丘館では
5回目となる、mikkyozの特別展示が終了した。

新潟でこのような映像(と音)の作品を作っているひとたちがいる、では、ご紹介しましょう、と

冬の寒い時期に蔵で始めた展示は、翌年から毎年作られる新作を私たちスタッフもその場で初めてみせていただく形が恒例となり、

数年前からは定点観測の意味合いを帯びてきた。

昨年の展示。赤子の顔から人相がにゅっと飛び出す話を書いた。

そして今年。


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会期終了後に話を聞くと、撮影機材を変えたり、上映をBlu-rayに変えたり、といった変化があったそうだ。

けれど、それ以上に顕著なのは見た人の反応なのである!

決して来場者数は多くないものの、毎回mikkyozを見ているひとからは、特に大きな反応があった。

それほどに、映像も、音も、洗練されていた。


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写真や映像のむずかしいところは、日常的な題材を取り上げると、他のひととの差異が見えにくい、というところにあると思う。

そこで大事になってくるのが、作り手個人の視点。

目の前に広がる風景から何を抽出し、作品化するにあたってどう味付けするのか…それを昨年は料理に例えて書いたのだが、

今回のmikkyozの研ぎ澄まされた表現をみたら、ふと、年末に長々とテレビで見た贅沢なお寿司の番組を思い出したのであった。

薄暗いお店のあかりの灯るなか、

白木のカウンターのうえにはつややかに寿司がのっている。

米と魚介。

見慣れた食材なのに、ちがってみえる。

何がちがうのか。

おそろしく手間暇かけた下準備の映像があいまに映し出される。

なぜにそんなに下ごしらえが必要なのか。



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想像するに、それは雑味を取り除き、素材の「持ち「味」」を引き出すため。

けれどその技や手間は表立っては見えない。

ただ凛と美しく、ほかの解釈を一切受け付けない、輝く寿司が、そこに佇むばかりだ。

技も手間も表に見えすぎるうちは、強い表現にならない。

一昨年までのmikkyozもどこか、表したいことのなかに技が見えすぎるもどかしさがあったが、

5回目の今回、彼らは若くして熟達した板前のようであった!

それまでにあった雑味が消え、ありふれた素材の中からもきりりと、純粋な味を引き出している。

そしてBGM的な位置で解釈されることの多い音。

leさんのつくる音(音響)は音楽やリズムにとらわれない、

たとえば飛行機が遠くに飛んでゆく時の音や、鳥の羽ばたきや、冬の寒い夜に風に運ばれてくる海鳴り、

たとえばそんな、言葉では説明できないような音の粒を、耳の中で鳴る振動を、

ぐっと鮮やかに描き出していた。

そして、余分な味をつけたすのでなく、そぎ落とすことでうまれた遠藤さんの映像。

鮮度高く極限まで極められたこの二つが、拮抗する空間である地点を生む。


そこに
mikkyozの味がある。

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それを体感することが、mikkyozを見るということだったのだなあと、

この5年でわたしの味覚も鍛えられたのか、そんなことを思ったのでした。


(小)




特別展示
mikkyoz

【会期は終了しました】2016.16日~17

会場:砂丘館ギャラリー(蔵)



明日(11/29)で終了する早川俊二展は、長野(6月)札幌(7~10月)と旅をして、新潟のあとは酒田(2016・1/5~26 酒田市美術館)に旅立つ。
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ほかの3会場は、どこも鉄筋コンクリート造りで、長野市の北野カルチュラルセンターは、天井もおそろしく高い大ホールで、その3階まで絵が並んでいた。

なので、絵が大きいなと思ったものの、実感がわかず、新潟に出品の絵はかなりしぼらせてもらったにもかかわらず、到着してから、その大きさにあらためてびっくりした。

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結局、大きな作品を数点未展示とした。

絵と絵の間をそれなりにあけて、砂丘館の建物と絵の関係を大事にしたいと思ったからだ。

蔵のパネルも大きな絵の場所ははずして、柱を露出させた。絵がパネルからはみだしそうだったからだ。
そうして絵をかけ終わって、ふしぎなことに気がついた。見慣れた柱がいつもと違ったように見えるのだ。

なぜだろう??

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長野の展示を一緒に見た砂丘館の<小>さんが、早川さんの絵の「しもふり」に引かれるという感想をもらしていた。しもふりは、明色や暗色、いろんな色が小混ぜになった様を言う言葉だが、パレットナイフで何度も何度も絵の具を重ねて生まれる早川さんの絵肌は、なるほど「しもふり」である。
ギャラリートークのとき、ちょっと点描のようでもありますね、と早川さんに言ったら、タッチが単調になる点描の欠点を話され、スーラは素描があんなに素晴らしいのに、油絵がつまらないのは、そのことと関係があると、目を開かされるような発言をされた。

早川さんのタッチは、たしかに、なるほど「点」ではない。

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その点ではない「タッチ」に目を近づけて、思いがけずそこに「茶色」を発見した。

遠目では、あまり気づかなかった色だけれど、ほとんどの早川さんの絵には、茶色、または褐色が織り込まれている。
この褐色ー「茶色」が、どうやら淡い紫や青や灰色を、物の固有色から解き放つ作用をしているようでもある。
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そして、その褐色が、絵の外にまで波動を広げて、柱や、床や、木造空間のあらゆる場所にひそむ茶色ー褐色を共鳴・生動させているのだと気づいた。

しかも、建築後83年を経過した砂丘館の木部(主たる茶色部分)は、汚れたり、変色したり、さまざまに傷ついたりして、これまたどこも微妙で雑多な「しもふり」になっているではないか。

絵と建物にひそむ、茶色のしもふり同士が、ひそかに会話(チャット)を交わして、砂丘館をにぎわわせていたのだった。
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ちなみに…
褐色を茶色と言うのは、茶を染料として用いると、その色になるからだとのこと。

酒田市美術館の壁は大理石だという。
今度はどんな共鳴が起きるのだろう?
見に行ってみたい。

酒田市美術館
                                  (O)




突然ですが私は田舎の生まれなのですが、

そのおかげで、田舎の空気がどんなものであるのか、よく知っている。

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田舎の共同体というのはアメーバのようなものなんである。
大勢いるような人の集まりも、この結びつきの中ではひとつの生命体のようなもので、そしてひとつの感情を共有している。

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図と地であれば、地である。

土台の、根っこの、ありのままの部分で、生まれた時から毎日同じ人と顔を合わせてばかりいるから、田舎の人付き合いは地が出るんです。

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図とはおそらくペルソナであろう。

よそゆきの社交の顔。腹の中も素性も知れない人と、なんとか感じよく交わるため、にゅっと自分のある一部を突出させる心持ち(またはその反応状態)のような気がする。

それで、昨今の写真というものは、どうも図ばかりなのであります。それが面白いこともあるけれど、たぶん大部分はそうでない。「表現」という名のもとに、想定された範囲内の自分および被写体を転写する。なんだかそういうものばかりを見せられていると、う~ん…、というお腹いっぱいな気持ちになるのです。



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それで、角田さんの写真はというと、これが「地」なんだなあ~。「地」のひとの笑顔。「地」のひとの寝姿。「地」のひとの酒飲み会。そして時に「地」のひとのひとり佇む姿。

ただ、懐かしい、昭和の、いい時代だった、写真ではない。

これは同じ共同体で「地」を共有する角田勝之助さんだからこそ引き出せた、「地」のひとびとの暮らし、姿。だから厚みがあり、写るひとの深さが伝わる。見ているとこちらの心までがほぐれ、その中にはいっていきたくなる。


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「なんだペルソナッテ?おれは、おれだで」
そんな声が聞こえてきそうな、
地と地でつながる金山の村の肖像。その感情は、ゆたかな笑いの連鎖で結ばれている。

(小)

2015年地域映像アーカイブ】
特別展示・角田勝之助の写真
村の肖像Ⅰ&Ⅱ&Ⅲ展

主催:砂丘館、新潟大学人文学部、新潟大学旭町学術資料展示館
企画:新潟大学地域映像アーカイブセンター

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9時~21時 観覧無料
砂丘館ではフォトアーキビストの大日方欣一さんがセレクトされた昭和20年代~40年代の写真約100点を展示しています。
同時開催の新潟大学あさひまち展示館では、10/1511/1まで角田勝之助さん撮影の動画を上映中です。
http://www.sakyukan.jp/2015/09/2953

2012年から、講師の石井仁志さんの発案のもと始まった『写真実践鑑賞講座』も今年で4回目となった。
2013年から始めた夜の部・撮影者向け講座で作品講評や、作品の自己批評、そして表現するために重要な視座のあり方、獲得の仕方について学ぶうち、やはり展示をやらなければ!となったのが今回の写真展の発端です。

題して『自己表現で写真展を創る』
—の名のもとに、集まって下さった受講者は13名。
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2年、3年と講座を継続して来て下さっている方から、まったく今回が初めてという方、また、グループ展や団体展、コンテスト等で経験豊富なセミプロ級の方から、最近撮り始めたばかりという初心者まで、年代、作風も種々幅広い作品が一堂に会することとなった。
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会場をご覧いただけばお分かりの通り、まさしく「写真の多様性」に触れる内容。
見学者の方からは、「こんなに自由な写真展は新潟では見たことがない!」という感想も頂戴するほどの出来上がりとなった。

これらの展示にあたっては、6月〜8月まで3回の作品講評を重ね、受講者とも話し合いながら、講師の石井さんの方で最終的なセレクトと、展示にあたってのサイズや形態(額装・マット装・プリント直貼り)などの指示を出し、事前の準備にトライしていただいた。
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受講者からすれば「自分が飾りたい作品・気に入った作品とは違う」と思うような選び方も、こうした鋭いディレクションの目がはいることで、全体的なまとまり・バランス感・リズムが出、ひとつの展覧会としても完成度の高いものになっている。

ブースごとの自己主張ではなく、こうした全体のバランスが写真展には大事なのですねえ。
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実践の展示作業を終え、受講者からは「この人の写真はすごいなあ」「あの人のようには撮れないなあ」などと、他の方の作品を気にする声もちらほら…。
けれど、それを外から見ている私からすれば、どの人もその人の良さ・その人らしさが出て、どの写真もその人にしか撮れないもの、どれもが個々の光をはなち、その光はみんな異なっている。異なっているからすばらしい。
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だからあなたはあなたの良さを生かして、写真をたのしんで。

などという相田みつをさんのようなことを、ありありと感じた。

ならべてみて初めてわかる、もしかしたら、視座とはすでにその人の内にあり、視座の獲得とはすなわち、自己を知ること、自己を肯定すること、でもあるのかもしれない。(小)


写真実践鑑賞講座2015
【自己表現で写真展を創る】受講者写真展

2015年9月20日(日)〜23日(水・祝)

参加者:安藤喜治,磯沼幸生,稲垣宗隆,遠藤未奈子,大橋康男,櫛谷さわ子,小林弘、高橋芳明,竹内和宏,冨樫辰郎,前田和也,松木早苗,若林茂敬

会場:砂丘館ギャラリー(蔵)
観覧無料
by niigata-eya | 2015-09-23 15:28 | 砂丘館

汗をかいた皮膚には無数の汗腺がひらいていて、その奥からは無意識のうちに水分と熱が発散され、人体は体温調節を行っている。
肌の表面は、離れて見ると、平らなように見えるけれど、実は、規則正しく凸凹(隆起)している。

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一つ一つの隆起を皮丘(ひきゅう)、皮丘の間の溝を皮溝(ひこう)という。
隆起する皮膚を動かして、人は感情を伝え、ものを語る。

皮膚の一枚内側、一膜まとった内側に、水風船のように感情や思考を湛えて、人間は存在し、今日も無造作に人体を調節しながら身動きし生きている。― ― ―


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彫刻について、いままでうまく解釈ができず苦手意識があったのだが、
そんな風に人間の皮膚のことを考えていたら、すこし合点がいった。
見えるものの表皮とその奥。そのようなことについて考え続けているのが、彫刻家・榎本栄子さんの仕事だろうと思う。

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感情・思考・行為・歴史・人体の神秘をつつむ造形として、木を彫る。刻む。
そのようなことについて考え、書かれた榎本さんの「空間対位法」*はおもしろい。

自然界を造形した神の観念。生命を維持する動物的な機能を持つ口腔と、知覚し思考する目とそれにつながる脳(頭部)とのねじれ。生滅と心理、物理と心理の間にある実態のない中心。
すべてに通ずる宇宙の運動。

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そうした言葉にならないものに表皮(造形)を与えることが彫刻家の仕事ならば、あたえられた表皮を鑑賞することと、その内側にあるものを想像すること。
その二つが、彫刻を見るということなのかもしれない。

とろけるような皮膚のロダンの彫像に感情がつつまれていたように、
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わかりやすいものではないのだが、
榎本さんの造形の中にも、一筋縄ではいかない複雑な思い・思考が内包されている。

今年73歳になる榎本栄子さんの伝えたいこと。
その思いの一端は、どうぞギャラリートークで。(小)


*「空間対位法」については、会場で案内文を配布しています。


榎本栄子彫刻展―空間対位法―70年・伝えたいこと
2015年7月17日(金)~9月6日(日)
9時~21時 休館日:月曜日
会場:砂丘館ギャラリー(蔵)+一階全室

【関連イベント】
・ギャラリートーク「人体に学ぶ」
 お話:榎本栄子、聞き手:大倉宏
 8月16日(日)14時~
 参加費500円(予約不要、直接会場へ)

最終日にダンサー堀川久子さんが会場でおどります!
堀川久子独舞(榎本栄子彫刻展会場にて)
 9月6日(日)18時~
 料金1,000円 定員25名(要予約/8/30~受付開始)


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それはどの絵にも言えることかもしれないが、
堀内康司の絵の真の魅力は、情報や画像(イメージ)を“流す”ようにしか見ることのできない人には、
けっして理解することができないだろう。

展示作業の日、昨年の3倍という猛烈な飛散量のおかげで、O氏もわたしも花粉症真っ只中。
片時もティッシュケースを手放せないせつないだるさの中、堀内康司の絵を飾った。

心身が弱っているときは、絵がよく見える。
きりきりとした深い孤独。
切実さ。

思うように体も動かせず、人並みのこともできないから、
動かない体のなかで生身のこころだけが、ぜいぜいと、かろうじて生きているような感じで、
手に取るように自分のいのちやこころの形が見える。

そんな状態で絵の前に立つと、
描いた人と見る私、ひとりの心とひとりの心が向かい合う。

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スポットライトを当てられた「無題〈花〉」をはじめて見たとき、
キャンバスにつきつけられたナイフの跡が浮かび上がって、
「リストカットのようですね」という言葉が思わず口からこぼれた。

堀内の線はこの線だったのか。

リストカットは生きるためにするのだという。
自死するためではなく、生きていることを実感するために。
流れていく血と痛む身体のあることを実感するために。
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堀内康司はとても明るい人だったのだという。
画集にうつる写真にも親を亡くした寂寞さよりも、開放感のようなものがひょうきんな笑顔ににじむ。

けれど堀内康司が絵の中に描きつけた線は生きていくための線。
わが身に受けた孤独と苦しみを、吐き出し、押しのけ、生き抜くために絵を描いた。描かずにはいられなかった。

そんなように、思わずにはいられない。

30代はじめで筆を折った堀内康司。
周りのひとには見せなかった想いを、絵だけは知っている。
病み上がりの身体にはその想いががよく伝わる。

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―「絵は初々しい境地が描かせるものか?」

孤独すら、大量に流れる情報で処理される時代に、
見る人の眼にその絵はどのように映るだろう?

(小)


忘れてはならないひとがいます
堀内康司展

2015.4月17日(金)~5月24日(日)
9時~21時 休館日:月曜日(5/4は開館)、4/30、5/7・8 
会場:▶
砂丘館ギャラリー(蔵)
+1階全室
観覧無料


発売中!
『堀内康司の遺したもの』(求龍堂)3,240円
2011年の没後、知人らの尽力により刊行された遺作画集。
会場で手に取ってご覧下さい。
by niigata-eya | 2015-05-04 16:38 | 砂丘館
砂丘館で写真展を開催中の有元伸也さんのトークで、
印象に残ったことがあった。

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有元さんは学生時代、日本各地を訪れ、風景、ポートレートを撮った。
動機を聞いた。日本に生まれて、日本をよく知らないという気持ちがあったとのこと。
有元さんより14歳年上の私にも、そういえば、同じような気持ちがあった。
10代に奈良に仏像詣でをしたのも、20代で生まれた新潟を旅したのも、元をただせば、その気持ちからだった気がする。

大阪の写真学校を出て、有元さんはインドに行く。そこで出会ったチベット人の表情に魅了されたのが、写真集『西藏(チベット)より肖像』の出発点になった。イエスとノーが明快なアーリア系の人とは違う、微妙な「はにかみ」を浮かべる人間にふしぎな近さを感じたという。
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和室に展示された写真のチベットの人々を見ていて、この人たちには、自分の国を知らないという感情はないだろうと感じた。
自分のいる、いま、ここが、自分の国、世界だと、威厳と気品を漂わせる、それらの美しい顔々が語っている。

写真集は評判を呼び、受賞もした。
けれども、有元さんは、その後10年チベットに足を踏み入れなかった。
かわりに東京に行き、住んだ。新宿の街を毎日毎日歩きに、歩いて、カメラを向けるべき人を探した。まるで狩人のように。人であふれる街を半月歩いても、一人も出会えない時もあったという。

蔵ではその新宿と、東京都の山奥(?)である奥多摩で撮影された2000年以後の写真(主にポートレート)を展示している。
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彼らとチベットの人々には、違いと、共通点がある。

ariphoto(有元の写真)の新宿人たちは、チベット人の知らない不安を、大都市の、チベットとは質の違う危険をひそませた町の牙を知っている。そのような不安に包囲され、脅かされながらも、彼らもやはり写真のなかでいま、ここに、自分の国に、場所にいる。

そこが同じだ。

自分がいるいま、ここがどこなのか知らないという感覚の病から、確実に離れた場所に、生きている。
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人が人であることの尊厳とはなにか。それはどこから生まれるのか。
考えさせられる。                                   
(O)

有元伸也写真展
ariphoto in niigata 2015
2015年2月17日-3月22日  砂丘館ギャラリー(藏)+一階全室


 
by niigata-eya | 2015-03-08 21:14 | 砂丘館
毎年この時期、定点観測的につづけているmikkyozの特別展示は今年で4回目。

「見る、聞くということはどういう意味を持つのか」
をテーマに2009年から活動をする2人組は、日常生活で目にするものを題材にしつつ、写真や映像、
ノイジーな音などで、その日常を微妙にズレさせるような表現する。
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これまでの展示では、その題材や手法の何気なさ(悪く言えば凡庸さ)から、
普段、個の強い表現を見慣れているこちらとしては、少々物足りなく思うことも、正直あった。
けれど4回目の今回。
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見続けてきた効果というのか、作り手の変化なのか、くっきりとmikkyozのカラーが見えてきたような気がする。「日常」と「ズレ(異質さ)」の境にある曖昧さから凡庸さが薄れ、ありふれた題材からもきりりと作り手の視点が際立って感じられるようになった。

その違いは、題材(素材)やメニューには劇的な変化はないのに、料理の味付けがビビッドになったというのか。
分かるような、分からないような、その微妙な変化がまたmikkyozらしくもあり。
とにかく心地いい二階のソファで静かに強くなった映像を眺めながら、赤子の顔の中から人相がある日、にゅっと前に出てきたことを思い出した。
(小)

特別展示MIKKYOZ008
2015.1月21日(火)〜2月1日(日)
月曜休館 観覧無料
会場:砂丘館 ギャラリー(蔵) 1階写真展示 2階映像上映

mikkyoz HP  ※過去の映像作品もご覧いただけます
by niigata-eya | 2015-01-31 12:42 | 砂丘館