12月12日に77歳で亡くなったジャン-フランソワ・ゲリーの遺作となった「流木」に続いて現在展示中のmikkyoz015がとてもいい。
mikkyozは「流木」の画像編集をした遠藤龍の映像にleが音を作ることで生まれる映像+音からなる作品。
その表現が年々深さと強度を増している。
その深さと強さは、表現がよりシンプルになっていることとつながっている。
今回について言えば、自然と人工というたったふたつの要素で画像が作られていること。そのことに音が深く呼応していること。
それは自然と人工という「コンセプト」で作られていることとは違う。
まったく違う。
結果としてシンプルに至る、そのことで、表現が深く、強くなっている。
岩、水たまり、霧、太陽、川の流れ、森という自然。
未来派の絵を思わせる建物やトンネルや部屋や柱、フェンス、家並み、納屋、布、工場という人工。
そのぞっとするような、夢に引きこまれるような、感覚がねじれ、ひらかれていくような細部、部分。
人工が現れると色は消え、自然が出現すると画面と色が広がる。
そんなシンプルな対比で映像は構成されているのだが、そのシンプルな対比が自然と人工がかならずしも、あるいは決して対比的な存在ではないことを感じさせる。
人工に光が差し、影ができ、草が生え、硬質な壁にほんのかすかに、けれど確実に時間が侵入する。
カメラのピントが白い丸柱に、ついで遠くの草むらに結ぶ。
硬質な岩が、すすきがが、水の流れが「作られた」ものであることを感じる。
最初見た/聞いたとき、自分の携帯電話が鳴っている気がして幾度もポケットを探っていた。
leの音はこれまでにないリズムのような音を刻み、高まり、遠ざかり、寄せてくる。
画像が消えたあと、静寂、そして音。呼び出し音? 鳥の声?
そのように終わる。
なにか分からないものが体におかれて、動けなくなる。
また見たくなる。
ときおり眠気が襲い、醒め、何度でもそこにいたくなる。
10数分という時間が、ソリッドで、深い
いまになる。
一階には遠藤龍の写真を展示。
24日まで。
(O)
by niigata-eya
| 2021-01-21 17:14
| 砂丘館