うーん、、、渋い、、、と敬遠する前に、まずはここに来てほしい!
「風騒ぐ家の人々 詩人 会田綱雄・三好豊一郎と画家 齋藤隆展」
生まれて初めて会った新潟の人は、お茶の先生で、白根の出身だった。

白根の酒蔵に生まれて、0歳で旭川の酒蔵の養子に入り、銘木店に嫁いで、帯広にやってきた。
知り合ったとき、先生はすでに90歳を超えていた。お弟子さんはほかにおらず、いつも二人きりで、お手前を習いながらたくさんの話を聞いた。
お妾さんもいた時代。

先生の昔話は登場人物がいつも大勢いて、何度聞いても覚えられず、話題も時代も行ったり来たり。先生と一緒にタイムマシーンの絨毯に載ってビュンビュン移動しているみたいだった。

稽古が終わると、私の運転で先生のお孫さんがやっているお蕎麦屋さんへ。先生はお蕎麦は頼まず、代わりにいつも生の中ジョッキを一杯。それはそれはおいしそうに飲んだ。
「安曇ちゃん、私が死んだらね、部屋中からビールの空き缶が出てくるんだから」と、冗談を言って笑っていた。
かわいらしいもの、きれいなものが大好きで、帯広を離れてからも、旅先で何か見つけるたびに先生に見せたくて、買っては送った。
毎回必ず、直筆のお礼の手紙が届いた。
その後、先生は施設に入り、少しずつやりとりは途絶えて、数年前に亡くなったと人づてに知らせが届いた。

今回の「風騒ぐ家の人々 詩人 会田綱雄・三好豊一郎と画家 齋藤隆展」では、齋藤さんの強い希望により、展覧会のカタログを作ることになった。
そこに寄稿をお願いし、寄せられた、池井昌樹さん、寺原信夫さんの詩に、今まで見ないようにしていた、先生の不在を今更ながら思い知らされ、胸のど真ん中をつつかれ、泣かされた。
16歳のとき、遊びに来た祖母が帰るのにつきそい、もらわれてから初めて行った白根で見たことを、よく聞かせてくれた先生が、不思議な縁で今、私が新潟に暮らしていることを知ったら、何て言っただろう。

逝ってしまった人と直接話すことは叶わないが、齋藤さんは、会田さん、三好さんがこの世を去ったあとも、遺された二人の作品と対話を重ね、糧にして絵を描き続けてきた。
正直に告白すると、今年の初めに展覧会の予定を聞いたとき、
渋い、、、
渋すぎる、、、
これ、若い人、来ないわ、、、と思った。

けれど、作品の撮影で福島へ行き、齋藤さんの絵を間近で見た時、あまりの迫力に度肝を抜かれた。
何これ!!おもしろい!!!!!!と興奮した。

きっと、几帳面で優しいお人柄だったんだろうなあと思わされる、三好さんのやわらかな書と絵。
全身で瞬発的に物事の本質をとらえ、その勢いごと絵に表したような会田さんの「佐渡」や「会津の印象」。
割り箸を半分削って筆代わりに書いた書。

そして何と言っても、これらの作品を砂丘館という空間に展示した大倉館長の力量には、本当に驚かされる。
「展示はおもしろい方がいいですよね」という大倉さんがいるから、砂丘館の展示は何をやってもおもしろく、今回も裏切りません!
展示作業中の蔵に入る度に、「うわ!」と声を上げて笑ってしまうくらい、一体、いつもどこから閃きが湧いてくるのか、、、。

砂丘館は、10月30日から12月9日まで「風騒居」となる。
チラシや写真だけではこの迫力は絶対に伝わらない。好きとか嫌いとかわかるとかわからないと決める前に、まず、この空間に身を置いてみてほしい。
会田さんの朗読にじっと耳を澄ませてみてほしい。

先生には間に合わなかったけれど、私に「荒地派」の存在を教えてくれて、田村隆一の名前から、息子に「隆」と名付けた札幌の三宅さんに、このカタログを届けられることを本当に嬉しく思う。

砂丘館で携わる最後の展覧会が、私の大切な人たちをつなぐ、「風騒ぐ家の人々」であったことを、心から幸運に思っている。
砂丘館は、月曜以外、朝9時から夜9時まで開館しています!
(あ)