◆隔たりを越えて【阪田清子展】

近くて、遠い。

向かいあっているのに、見えない。
となりあっていながら、隔てられたもの。
―「対岸」

そんなテーマで1年の準備期間を経て始まった阪田清子展(会場 砂丘館)も会期終盤。

ひとつぶずつ、阪田さんが手作業で積んでいった塩の結晶は、
日本海の海水から濾され煮詰められ、長い時間をかけて形となったもの。

その立方体が大事な手紙や金時鐘さんの詩の文字の上に置かれ、
意味から私たちを阻み、遠ざける。

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涙の結晶?
海の記憶?
人間の体内には約100gの塩が存在し、体重の3分の2は水でできているという。
塩からどんなイメージが生まれるだろうか

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――金時鐘さんの長編詩「新潟」は投瓶通信。
誰に届くかもか分からない手紙のようなもの。
もしかしたら、あるかどうかもわからない、未来の自分に宛てたものだったかもしれない。
対岸の新潟で、漂着物のように、阪田さんはそれを受け取った。

その文字の上に塩の結晶を置くとは…海に還そうとでもしているんでしょうか?…――

金時鐘の「新潟」を新潟で読むセミナー第1回の講師として来られた
細見和之さんは、そんな風に語られた。

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阪田さんの作品にあるその粒を見ようとすると、
自然と身をかがめることになる。
その先にある文字(意味)を見ようと塩の粒とおなじ目線に近づくと、自分の意識はどんどん小さく無になる。

小さくなった身体で何かを見ようとすること、向き合うこと、
見えないことをあきらめず、知ろうとすること、
ひとつぶずつの文字を読むように、塩の結晶を置くように、他者へと近づいてゆく…
そんな姿勢こそが、阪田さんが今回示したかったことなのかもしれない、とその姿勢になってみて初めて気づいた。

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隔たれても、見えなくなっても、
その意味があなたのこころに残るなら

そして、よもや燃やされたとしても、
本当の詩は消えない。
誰かがそう言っていた。

阪田さんの往復書簡もまた、誰かへと届いたことだろう。

(小)

阪田清子展 対岸―循環する風景
開催中~10月2日(日)まで 9時~21時
休館日:月曜日(9/19は開館)、9/20・23
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by niigata-eya | 2016-09-29 10:07 | 砂丘館 | Comments(0)