図と地 【角田勝之助の写真「村の肖像Ⅰ&Ⅱ&Ⅲ」】
突然ですが私は田舎の生まれなのですが、
そのおかげで、田舎の空気がどんなものであるのか、よく知っている。
田舎の共同体というのはアメーバのようなものなんである。大勢いるような人の集まりも、この結びつきの中ではひとつの生命体のようなもので、そしてひとつの感情を共有している。
図と地であれば、地である。
土台の、根っこの、ありのままの部分で、生まれた時から毎日同じ人と顔を合わせてばかりいるから、田舎の人付き合いは地が出るんです。
図とはおそらくペルソナであろう。
よそゆきの社交の顔。腹の中も素性も知れない人と、なんとか感じよく交わるため、にゅっと自分のある一部を突出させる心持ち(またはその反応状態)のような気がする。
それで、昨今の写真というものは、どうも図ばかりなのであります。それが面白いこともあるけれど、たぶん大部分はそうでない。「表現」という名のもとに、想定された範囲内の自分および被写体を転写する。なんだかそういうものばかりを見せられていると、う~ん…、というお腹いっぱいな気持ちになるのです。
それで、角田さんの写真はというと、これが「地」なんだなあ~。「地」のひとの笑顔。「地」のひとの寝姿。「地」のひとの酒飲み会。そして時に「地」のひとのひとり佇む姿。
ただ、懐かしい、昭和の、いい時代だった、写真ではない。
これは同じ共同体で「地」を共有する角田勝之助さんだからこそ引き出せた、「地」のひとびとの暮らし、姿。だから厚みがあり、写るひとの深さが伝わる。見ているとこちらの心までがほぐれ、その中にはいっていきたくなる。
そんな声が聞こえてきそうな、