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新潟絵屋があるのは上大川前通り10番町。同じ町内のちょっと下手にある「理容ふじ」に日暦が置いてある。3ヶ月くらいの間隔で、そこに髪を切ってもらいにいくと、いつも勧められて座る椅子(通り側)のまん前に、その日の日付が見える。
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店内はいつもさっぱり、すっきりしている。店主のSさんもいつも白い服に、折り目のついたズボン姿で、髪もすっきり(聞けばご自分でカットされるそう)。ごちゃごちゃしたところにある日暦も、よいけれど、すっきりした場所にある日暦も、気持ちよさそうだ。(О)
食べもの、飲みもの、着もの、履(はき)ものという言葉があります。

「みるもの」は「見るもの」。

私たちの周囲は「見えるもの」でできています。「見えるもの」は、それだけでは、まだ「みるもの」ではありません。花を見、何かを感じた時、花は「みるもの」になります。
感じが「いい感じ」なら、それは「いいみるもの」。(「いい」は「きれい」「ここちよい」「おもしろい」という以上の意味を含んでいます。)
「美術」とは「いい見るもの」 となるべく、人の作る「みるもの」のこと。
「いいみるもの」には、場所を「よいところ」 にする力があります。(「よい」は「調和している」と「合っている」「いい雰囲気だ」という以上の意味を含んでいます。)

いい「みるもの」とよい「ところ」。それらを「いい」と感じる 「わたし」が歩いたレポートです。
# by niigata-eya | 2019-07-18 15:32

昨年の暮れ、華雪さんの「日暦」を手に入れた。



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それ以前から気にはなっていたのだが、どうせなら年の初めからという気分だった。

日暦のいいところは、自動的に、知らない間に、日々が過ぎていかないところだ。

暦を繰ることを忘れたら、ずっとその日にとどまっている。

矢のように時間が過ぎてゆき、デジタル時計や電波時計のように狂いなく機械的に時に流されるより、

淀んで、時に立ち止まった方がいいのではないか・・・

10月の個展のタイトルは「Stand Still」。

おまえ、本当に見てるのか? そんな自戒の意味も込めて。


*新潟絵屋で秋に個展を開催される安藤喜治さんが、ご自身のフェイスブックに書かれたもの。

 ご了解をいただいて転載しました。


日暦は茶の間に置いている。
この日付の景色が、昨年もすきだと思った。
今年の七月七日は日曜日。
いちにち家でのんびり過ごした。

寝る前にいつも日付をつぎの日にする。
また来年、七月七日。
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(I)

老母と二人、実家で暮らし始めて3年になる。
古い日本家屋の家はいわゆる実家テイストであふれていて
妙にモノが多く、部屋や台所の四隅が脈略なく雑然としている。
なんでここにこれがあるのよと時折ブツブツ文句を言いはするけれど、
実は内心、どこかで実家的安心感を感じていることも確かなのだった。

そういう実家の玄関の一角に日暦を置いている。
新潟漆器の丸山商店ご親族から譲り受けた漆の二重棚を置いて
その上にシンプルに日暦を置いていたのだが、
はたと気がついたらいつの間にかランチョンマットが敷物にされ、
私が持ち込んだあれこれが母の手によって脈略なくポンポンと飾られていた。

ううう。実家だ。

日暦を見て「これはなんだ?」と最初は訝っていた母だが、
いまやせっせと毎日めくっている。そして、
「今日クリーニング屋さんが日暦を見てね、『これは何ですか?』と聞いてきたんだよ」
「回覧板を持ってきたお隣の人から、『素敵ねえ』って褒められた」
「八百屋さんが配達に来て・・・(以下略)」
訪ねてきた人たちの反応をいちいち私に報告する。

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玄関を開けた正面に置いてあるので、
ちょっとしたアイストップになっているのだろう。
嬉しそうな母を見て、喉元まで出かかった小言を呑み込んだ。
娘、まだまだ修行が足りねえな。

おしゃれとは程遠い環境ながら、
うちの日暦は愛されております。

(U)