三月一日、新潟絵屋の庭に三つ編み観音が帰ってきました。
砂丘館の特別展示「越境する職人展」をきっかけにお出かけして、約九ヶ月間、季節ごとに移り変わる広いお庭に佇み、目を閉じて過ごしてきました。
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猫の額のような新潟絵屋の小さな庭ですが、石彫の周りは、これからすこしずつ緑が萌えてきます。
(I)



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 塩﨑貞夫の絵を最初に見たのは、1990年代だった。
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 まだ新潟市西堀通りのコーリンビル時代のアトリエ我廊の個展で、画家にも初めて会ったのだったと思う。国画会(国展)から離れて、もう20年以上たっていた時分だった。と今は分かる…が、そのとき私は勘違いして、まだ国展に出されているか、つい近年まで出していたのだろうと思い込んでしまった。
 そう錯覚した理由はいくつかあるけれど、ひとつは、塩﨑の絵に、たまたま私の知っている国画会の松田正平、喜多村知、川北英司といった画家たちと、なんとなく共通するものを感じたせいだった。
 塩﨑が国展に初入選したのは1956年である。その2年前には、やはり新潟の新発田出身であり、生涯を新発田で過ごした画家佐藤哲三が44歳で亡くなっている。画廊で塩﨑に佐藤の話をした。すると塩﨑も何かを応えてくれた。それでますます塩﨑貞夫=国画会の画家というイメージが固定してしまったのだったかも知れない。多分その個展か、次あたりの個展で、五重塔の絵も目にして、新発田市の出身で奈良の風景を得意とする国画会の画家高橋美則が連想され、固着はますます補強されてしまった。

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 今回の遺作展のために町田市の家を訪ねて、残された絵を見て、国画会出品作がほとんどアトリエにはなかったこと、残る数点の出品作が思いがけない抽象の作品だったことを知った。

 思い込みを、修整しなくてはならないと、やっと気づいた。

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 2000年代(塩﨑の60代後半から70代)にも、塩﨑は時々新潟市に来ていた。

 2005年にオープンした砂丘館に、しばしばひょっこりあらわれて、その都度、ずいぶん話を伺った。今にして思えば、どうしてもっと絵について聞いておかなかったのかと悔やまれる。
 ――むこうは気づいていなかったかもしれないが、私はその当時、塩﨑の絵の核、あるいは芯ともいうべきもの、少なくとも今そう思えるものをしっかり感じとっていなかったため、質問を発するまでに至れなかったのだ。
 …もっとも聞いたとしても、はにかみやの塩﨑が、それに答えてくれたかは分からないけれど。

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 90年代に絵を見たときも、もちろん感銘はあった。

 しかし、その印象が、ほかの画家への連想に短絡することで、その絵の、<その絵だけのもの>に、十分に接近できなかった。初めて接したアトリエ我廊の個展より、すでに20年ほども前から、塩﨑は東京銀座の文芸春秋画廊での隔年個展を続けていて(2005年まで続いた)、ほぼ毎回、美術評論家の藤島俊会が、新潟日報の「県人アート」欄に紹介し、その独自性をくりかえし指摘していたことを、塩﨑家に残された記事のファイルで知ったのも、ほんの数ヶ月前のことである。


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 松田正平や喜多村知を連想したということを、言葉を変えて、「絵の匂い」を感じたと表現してもいい。

 匂いの種類は違うけれど、一時期その絵を見て歩いた佐藤哲三の絵にも強烈にそれを感じた。佐藤の絵に1980年代半ばに集中的に親しんで以来、私にとって絵、ことに油絵は、見るものというより、むしろ「嗅ぐ」ものになった。

 その嗅覚が塩﨑の絵に反応した。

 絵の「匂い」とは、描かれた個々の形やイメージや色からというより、それらが渾然と混じり合い、相互に作用しあって生まれるもっと複雑で、曖昧な、いわば<霧>のようなものであり、時にそれは、絵肌、タッチ、マチエールなどの言葉で、部分的に言い表されたりするものでもある。それが塩﨑の絵に、濃厚にあった。東京の公募団体のなかでは、そういう空気感を大切に育んだひとつが、国画会だったというイメージが勝手に私の中に出来上がって、それを逆投射してしまい、画家個人から、というよりも、画家が身を置く環境に醸成されたものという錯覚につながった。

 まぎれもない、錯覚だった。

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 いま、砂丘館に40点近い大小の絵を並べ、毎日、それを「嗅いで」いる。

 改めて、あまり自分が使わない言葉ではあるけれど、塩崎の絵の匂いは一級のそれだと思う。一級とは、ここでは、薫きしめた香の移り香のようなものではなく、それ自身から発する匂い、体臭――表現の底辺から発するものという意味である。

 匂いという言葉が感覚的にすぎるなら、塩﨑のどの絵にも漂い、息づく生きた霧、と言ってもいい。

 この「霧」はおそらく、団体を離れ、画家がほかの誰にも支えられない個に立ち返っていく過程で、絵中に芽を出し、茎を、葉をのばしていったのだ。いま、私はそう考え、そのことで画家塩﨑貞夫の理解の大幅な変更を行っている。その作業の一環として、後半生40年の間に描かれた絵の、一見多様にも見えるモチーフをつらぬくものを、いくつかの文章で「死と鎮魂」や「死者との交流」などと書いたりしたけれど、実際に絵の前に立つと、それらもまた実際のこの霧の、匂いの質を、確実に言い当ててはいないという気がしてくる。

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 横たわる細い女の周囲に広がる、ゆるやかで捉えがたい人々の表情の奥の、波のしぶきのような桜や、桜のような波しぶきや、山から立ちのぼる、時に山そのものを消してしまいさえする、箸墓古墳や五重塔をこの世の物体ではなく実質化された幻影のようなもの昇華させてしまう――この霧の正体は、見分けがたい。

 容易に言葉にはさせない抵抗感がある。

 けれど、そのどれにも、まぎれもない、ひとつの同じ匂いが、手ざわりがあって、それがくりかえし、私を絵の前に呼び返す。

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(O)


砂丘館にて 9:00〜21:00
休館日 月曜日(3月20日は開館)

同時期開催
新潟絵屋 11:00〜18:00 (最終日 〜17:00)
 

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2/18-28
「イ充つ」は続いていた!
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「イ」
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上「イ合の衆」
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2015年4月の個展 佐佐木實展「イ充つ」
以来、シリーズは続き、今回に至ったのでした。

2/18初日には、ギャラリートークを行いました。
写真:中央が佐佐木さん
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フランス人言語学者Eric Cattelain 主宰のウェブサイト Pantopie にLes Mots de Minoru S. (佐佐木實語録) が掲載されています。佐佐木さんは自身の制作や生きることにかかわる20のフランス語の単語を選び、その単語から連想を広げた自問自答をされています。
ここではその中の4語「écriture」「inspiration」「voix」「langue」を佐佐木さん自身が日本語訳したものをご紹介します。

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ÉCRITURE 文字
文字 ― この道具の御陰で我々は思考や感情を分析的に扱うことができる。我々はその有用性、その魅力に依存し、囚われてしまっている。時々文字無しで過ごしたり、文字から逸れて彷徨ったりしてみるといいと思う。
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INSPIRATION インスピレーション
何かに着手するときは、自分自身の内なる声に耳を傾けることから始めるべきだ。何かを参考にする前に自分の頭に直感的に浮かぶことを知っておくことは極めて重要だ。一番最初のインスピレーションは「何を欲しているか」を反映している。それは自由な、自分個人の着想だ。そこから手始めの試行に移るのだ。初めから前例に倣うような安易さに走ってはいけない。
最初のアプローチは世に通用しているものとはかけ離れたものになるかもしれない。それはなにより。専門家の中にはそれを突飛で奇妙なもの、根拠のないものと言う人もいるかもしれない。そんなの大したことじゃない。自分の感性のみが感知しえる命題を掘りさげていく最も素晴らしい機会を葬り去ってしまうとしたら、本当にもったいのないことだ。世に受け入れられた考え方を永続させるために我々はいるのではない。
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VOIX 声
私の声は私にとってずっと「よそもの」だった。一度も仲良くなったことがない。加えて、私は言いたいことを即座に言葉にまとめることが得意ではなかった。とりわけ口頭で言葉にするのは苦手だった。その結果「口頭で言葉で自己表現すること」がずっと嫌いだった。声の代わりにテレパシーで意思疎通する世界を夢みたことさえある。
幼い頃、書、バレエ、ヴァイオリンを学んだ。これらはみな「口頭で言葉で自己表現する」のとは違うかたちで自己を表出することを可能にしてくれていた。この経験を通して、私は自分の中の「気」に敏感になった。気は声同様に力動する(声と同様に息に関わっている)。その反面、音を発することなく、無言だ。おそらく気は声よりすばしこく、深い。
この「無言の気」に気づいて以来、私は自分の藝術表現における ― 今日私が制作しているドローイングの場合でも ― その存在と重要性を意識している(中心主題であったことはないかもしれないが)。言語とは違って、気は細かく分節化されていない。そのため考えを練り上げるのには役に立たない。しかし、その自然な自発性は作品に決定的な一撃を与えてくれる。
私にとって、この「無言の気」を「声」を通して発現することは容易ではない。できることもあるが、稀だ。両者は一致しない。前者は私により近いところにあり、より上手く働いてくれるのは私が黙っている時だ。
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LANGUE 言語
言語は意味を生成するのに便利な道具である。しかし意味ばかり追い求めていては息が詰まる。意味は本質的に脳の仕事だ。脳から出よ。カラダの活気に助けを求めよ。言葉がカラダを通過するようにしよう。器官を通過するようにしよう。歌にしよう。演劇にしてしまおう。声の力動で、身振りで、意味をかき混ぜるのだ。言葉を書き記す時には、奇天烈なグラフィックで意味を揺さぶろう。全てやってみよう。さもなければ、意味の重さに押しつぶされてしまうかもしれないから。


佐佐木さんは、いまは「イ充つ」の時代です。
それ以前について、ご興味がある方は、次のページを開いてみて下さい。
佐佐木實ウェブサイト

さらにご興味がある方はこちらへ…
2011年4月 新潟絵屋での個展
2011年4-5月 砂丘館での特別展示
2011年11月 北書店
2014年2月 新潟絵屋での個展
2015年4月 新潟絵屋での個展

これからも、たのしみです。(I)



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# by niigata-eya | 2017-02-24 20:00 | 今月の土壁
松本健宏さんの「獣(じゅう)のり雛」が入荷しました。
お雛様とお内裏様、獣にのって、どこへゆく。
先に発売した酉聖人は、横目で獣のり雛を見ています。

¥4,320税込
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# by niigata-eya | 2017-02-22 18:32 | SHOP
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2月19日

新潟市こども創造センター・新潟絵屋の連携事業「コケ庭〜陶器と苔で作る小さな庭」の一回目を無事開催しました。

一回目の講師は、佐渡城南窯の池田早季恵さん。
おおまかには、
○平らにした土から四角い器を作る
○石膏型から抜いた動物をひとり4体ずつ、かおや模様を描く
という作業で、5〜14才のこどもたち、約20人が参加してくれました。

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はじめの工程で、型紙を目安に、土を約8mmの厚みで平らにのばします。
小さい子は、土の塊を平らにしていくのにも苦労しますが、次第に力の入れ方を見つけ、少しずつ低く、平らにできました。
高学年の子は精度を追求し、時間をかけ、表面の平らたさや輪郭にこだわりました。
器や人形に、池田さんオリジナルの文様をスタンプしたり、線描したり、手を加えるほどに、こどもたちの意欲が高まっていきました。
その姿の素敵なことと造形の面白いこと。お手伝いに喜びがあります。

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こどもたちが自由に制作できるよう、内容の組み立てや進行やサポートについて、いつも適切にアドバイスをしてくださるのが、新潟市こども創造センターの方々です。


こどもたちが帰ってから、池田さんは鉢と人形の底辺に穴を開ける作業です。

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作品は乾燥させ、新潟市こども創造センターの窯で焼きます。
白土を使いました。
どんな焼き上がりになるでしょうか。
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二回目は、この器に苔を植え込み、石を添え、砂を敷き、お庭を作ります。
今日は、苔庭作りの講師・角谷絵里子さんや長岡造形大学3年生の学生さんもお手伝いしてくださいました。
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この機会にお揃いのTシャツを作っていた講師のおふたり。
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鉢づくりの立役者。箱とスポンジ。

2016年5月 池田早季恵「陶と苔」展 
2012年5月 池田早季恵「陶と縁起物」展
2010年5月 池田早季恵「陶の動物園」展 








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