カテゴリ:砂丘館( 53 )

ついでにもう一つ図の話をしましょう。

…この上のほうは陽性、あるいは世間的には積極性と言ってもいい。

外向的で、自意識が強く働く世界です。ラインの下側はそれとは逆の陰性の世界。

消極性であり内向的で、こちらはいわば無意識につながりがちとも言える。

この両方は誰の中にもあるんです。どっちが優勢かというだけです。



社会に出て会社なんかの組織に入ると、一般的にはこの上のほうの性質が尊重される、というか奨励されるでしょう。

「お前、もっと人と付き合えよ」とか「もっと陽気に、活動的にやろうじゃないか」
とかね。

ふつうどんな人間にも陰性と陽性と両方あるんです。ふだんは…はっきりと理解したり、自覚したりはしないだけなんですね。

なぜかというと、社会に出て働いている時期には、たいてい意識は外に向いているからです。

他人にどう思われているのかとか、こうしたら徳になってこうしたら損をするとか、自意識が外に向いているのが普通なんですね。



ところがどんな人でも、たまには自分一人でいたいなと思うときがあったりする。

あるいはたまには自然のなかに一人入ってみたいとかね。

そういうときには心の下の部分が働いているんです。

それを無理やりずうっと押し殺していたりすると、心がアンバランスに陥ってノイローゼになったりするんですね。

この上と下というのはどちらが良い悪いではない、バランスの問題なんですよ。…

―引用『タオにつながる』2003年,加島祥三



砂丘館でとりあげる作家や作品に、ある一つの方向性があると気づいたのはいつの頃だろうか。

ずいぶん前のことになるので忘れてしまったけれど、

うまく言語に直すことができるのだとしたら、きっと上に述べられているような<内向性=無意識>を主体としたものなのだろう。


そのような、ひとりひとりが過ごす世界・時間のことを、梅田恭子さんは「自己宙」と呼んだ。
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ひとりひとりの人間の存在は「粒」。

昨年、砂丘館で開催した梅田恭子展「ツブノヒトツヒトツ」はその、梅田さんという「粒」のサンプルなのだという。



自己の中の奥深くとつながること。

そこを開かされるような発見や探求を、どのような形でか、目に見える作品や事象にあらわす事。



時代や場所も超えて、奥深くでつながれるような作品は、

奥深くへ潜った場所からしか生まれて来ない。


―そのようなことを、梅田恭子さんの「自己宙」という言葉と、

ツブノヒトツヒトツという作品に出あってからこの一年、ずっと考え続けていた。

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砂丘館の個展までは、具体的なタイトルの作品も、抽象のかたちで描いてきた梅田さんが、今年の新潟絵屋の展覧会では、具象画を描いている。

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梅田さんにはあの個展のあと、どのような変化があったのだろう。

梅田さんのあたらしい世界にまた会える。

(小)



【終了しました】梅田恭子展 ツブノヒトツヒトツ
2016年 2月16日(火)~3月21日(月・休)
9時~21時 休館日:月曜日(3/21は開館)
会場:砂丘館ギャラリー(蔵)+一階全室
主催・会場:砂丘館


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by niigata-eya | 2017-03-25 09:20 | 砂丘館


 塩﨑貞夫の絵を最初に見たのは、1990年代だった。
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 まだ新潟市西堀通りのコーリンビル時代のアトリエ我廊の個展で、画家にも初めて会ったのだったと思う。国画会(国展)から離れて、もう20年以上たっていた時分だった。と今は分かる…が、そのとき私は勘違いして、まだ国展に出されているか、つい近年まで出していたのだろうと思い込んでしまった。
 そう錯覚した理由はいくつかあるけれど、ひとつは、塩﨑の絵に、たまたま私の知っている国画会の松田正平、喜多村知、川北英司といった画家たちと、なんとなく共通するものを感じたせいだった。
 塩﨑が国展に初入選したのは1956年である。その2年前には、やはり新潟の新発田出身であり、生涯を新発田で過ごした画家佐藤哲三が44歳で亡くなっている。画廊で塩﨑に佐藤の話をした。すると塩﨑も何かを応えてくれた。それでますます塩﨑貞夫=国画会の画家というイメージが固定してしまったのだったかも知れない。多分その個展か、次あたりの個展で、五重塔の絵も目にして、新発田市の出身で奈良の風景を得意とする国画会の画家高橋美則が連想され、固着はますます補強されてしまった。

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 今回の遺作展のために町田市の家を訪ねて、残された絵を見て、国画会出品作がほとんどアトリエにはなかったこと、残る数点の出品作が思いがけない抽象の作品だったことを知った。

 思い込みを、修整しなくてはならないと、やっと気づいた。

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 2000年代(塩﨑の60代後半から70代)にも、塩﨑は時々新潟市に来ていた。

 2005年にオープンした砂丘館に、しばしばひょっこりあらわれて、その都度、ずいぶん話を伺った。今にして思えば、どうしてもっと絵について聞いておかなかったのかと悔やまれる。
 ――むこうは気づいていなかったかもしれないが、私はその当時、塩﨑の絵の核、あるいは芯ともいうべきもの、少なくとも今そう思えるものをしっかり感じとっていなかったため、質問を発するまでに至れなかったのだ。
 …もっとも聞いたとしても、はにかみやの塩﨑が、それに答えてくれたかは分からないけれど。

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 90年代に絵を見たときも、もちろん感銘はあった。

 しかし、その印象が、ほかの画家への連想に短絡することで、その絵の、<その絵だけのもの>に、十分に接近できなかった。初めて接したアトリエ我廊の個展より、すでに20年ほども前から、塩﨑は東京銀座の文芸春秋画廊での隔年個展を続けていて(2005年まで続いた)、ほぼ毎回、美術評論家の藤島俊会が、新潟日報の「県人アート」欄に紹介し、その独自性をくりかえし指摘していたことを、塩﨑家に残された記事のファイルで知ったのも、ほんの数ヶ月前のことである。


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 松田正平や喜多村知を連想したということを、言葉を変えて、「絵の匂い」を感じたと表現してもいい。

 匂いの種類は違うけれど、一時期その絵を見て歩いた佐藤哲三の絵にも強烈にそれを感じた。佐藤の絵に1980年代半ばに集中的に親しんで以来、私にとって絵、ことに油絵は、見るものというより、むしろ「嗅ぐ」ものになった。

 その嗅覚が塩﨑の絵に反応した。

 絵の「匂い」とは、描かれた個々の形やイメージや色からというより、それらが渾然と混じり合い、相互に作用しあって生まれるもっと複雑で、曖昧な、いわば<霧>のようなものであり、時にそれは、絵肌、タッチ、マチエールなどの言葉で、部分的に言い表されたりするものでもある。それが塩﨑の絵に、濃厚にあった。東京の公募団体のなかでは、そういう空気感を大切に育んだひとつが、国画会だったというイメージが勝手に私の中に出来上がって、それを逆投射してしまい、画家個人から、というよりも、画家が身を置く環境に醸成されたものという錯覚につながった。

 まぎれもない、錯覚だった。

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 いま、砂丘館に40点近い大小の絵を並べ、毎日、それを「嗅いで」いる。

 改めて、あまり自分が使わない言葉ではあるけれど、塩崎の絵の匂いは一級のそれだと思う。一級とは、ここでは、薫きしめた香の移り香のようなものではなく、それ自身から発する匂い、体臭――表現の底辺から発するものという意味である。

 匂いという言葉が感覚的にすぎるなら、塩﨑のどの絵にも漂い、息づく生きた霧、と言ってもいい。

 この「霧」はおそらく、団体を離れ、画家がほかの誰にも支えられない個に立ち返っていく過程で、絵中に芽を出し、茎を、葉をのばしていったのだ。いま、私はそう考え、そのことで画家塩﨑貞夫の理解の大幅な変更を行っている。その作業の一環として、後半生40年の間に描かれた絵の、一見多様にも見えるモチーフをつらぬくものを、いくつかの文章で「死と鎮魂」や「死者との交流」などと書いたりしたけれど、実際に絵の前に立つと、それらもまた実際のこの霧の、匂いの質を、確実に言い当ててはいないという気がしてくる。

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 横たわる細い女の周囲に広がる、ゆるやかで捉えがたい人々の表情の奥の、波のしぶきのような桜や、桜のような波しぶきや、山から立ちのぼる、時に山そのものを消してしまいさえする、箸墓古墳や五重塔をこの世の物体ではなく実質化された幻影のようなもの昇華させてしまう――この霧の正体は、見分けがたい。

 容易に言葉にはさせない抵抗感がある。

 けれど、そのどれにも、まぎれもない、ひとつの同じ匂いが、手ざわりがあって、それがくりかえし、私を絵の前に呼び返す。

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(O)


砂丘館にて 9:00〜21:00
休館日 月曜日(3月20日は開館)

同時期開催
新潟絵屋 11:00〜18:00 (最終日 〜17:00)
 

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1月の砂丘館が遠藤龍とleによるユニット、mikkyozの<映像+音響>を蔵の2階で「展示」するようになって、6年になる。

去年もよかったけれど、今年のそれは、個人的にぐっときた。

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個人的に、というのは去年の後半、昭和46年刊の『低湿地』(籠瀬良明)という本を古書で求めて読みふけり、低湿地関連の記述をインターネットでずいぶん検索し、その後では河岡武春の『海の民』(昭和62年刊)なども読み、振り返ってみると、水をめぐって読書し、あれこれと思いをめぐらした数ヶ月があった。

その経験が、出だしから呼び覚まされた。

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じりじりという音とともに現れる水面。
水たまりのある野道。
すすきの広がる原っぱ。

明らかに低湿地の気配が濃厚な映像が続き、急に疾駆する窓から見た新潟の夕空に切り替わり、その後は動く窓からの主に都市の映像(フロントグラスは雨で濡れている)と自然の映像が交錯していくのだが、全編に濃厚な水の気配が漂い続ける。

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気配どころではない、川や川岸や雨や水たまりが次々と現れて、夜の人工照明が渾沌と入り乱れる映像を経て、最後は……

これから見る人もあるだろうから、はっきりとは書かないけれど、終わったあとに、(リピートするので)また灰色の壁に最初の水面が幻影のように現れる。


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冬の暗夜の風のようにも、休みなく操業し続ける工場のうなり声のようにも聞える音が、水のイメージから遠いようで、映像の水の匂いを、なぜか際立たせるように感じられる。

水は、これまでのmikkyozの映像にも頻出してきた。
目新しいわけではないのだが…、今年のそれはすごくしみる。
これまでのものに比べると、コンピューター処理の技巧が見ていてあまり意識されないこととも関係があるのだろうか、などと考えるけれど、よくは分からない。

以下は映像の説明ではなく、この映像から呼び覚まされた私の感懐だが、新潟の土地=平野はかつては水であった。海であった時代があり、砂丘の堰に塞かれて無数の潟が広がった時があり、それらが広大な田園に変わり、次いでその田が埋められて、町に、都市になった時代があった。
その一連の経過を<水との闘い>と呼んだ人もあるけれど、本当に、ほんとうに、人は水と闘ってきたのだろうか、という疑問が、
このところずっと頭を離れないのだ。

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これ以上書くと、mikkyozの映像+音から離れてしまいそうなのでやめておく。
けれど、水の映像絵巻の続く蔵の2階に身を置いていたら、なぜか、答えの容易には見つからないその疑問へ、力強く連れ返されるとともに、

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それに立ち向かう勇気を、吹き込まれた。                        (O)

特別展示  mikkyoz011 1月15日まで
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熊猫
は、中国語でパンダのこと。
熊猫的故事はパンダのものがたり。

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 瞽女(ごぜ)小林ハルやハンセン病の詩人桜井哲夫の顔を、克明なリアリズムで、皺のひとつ一つまで描く鉛筆画家木下晋(すすむ)。

 1年ほど前、その木下が、パンダの絵本を製作中と聞いたときは驚いた。

 パンダ=かわいいというイメージと、彼の絵が、あまりに異質に思えたからだ。

 しかし、こちらがあっけにとられている間に、木下は中国四川省で見たという野生のパンダについて、熱く語りだしていた。
 

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 パンダは絶滅危惧種と言われている。

 しかし、本当に絶滅危惧種というか絶滅していいような存在が人間で、その人間がパンダをかわいいと感じるのは、人類に与えられた救いではないかと自分は思う。

 ???

 最初、意味がよく分からなかった。

 得心がいったのは、彼が実際に中国で出版した絵本『熊猫的故事』の原画を砂丘館で展示し、改めて詳しく話を聞いたときだ。


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 パンダは二頭の子を産むことがある。

 すると母パンダは迷わず、一頭を捨てる。捨てられた子は死ぬ。
 残ったもう一頭をかわいがって育てるが、その子が一歳半になると、とつぜん母は立ち去ってしまう。

 氷河期を生き延びたパンダは、かつては肉食だった。

 しかし厳しく長い時代を生き継ぐ間に、他の生き物が食べない竹を主食とするようになった。
 栄養価の低い竹は大量に摂取しなくてはならず、一頭が生きるには広大な面積が必要になる。
 
 母に去られたパンダは、その広い縄張りで 孤独に生きる。

 そのようにして、限られた広さの世界と、パンダは折り合って生きる。

 その生態は、長い歴史の中で、パンダが身につけた智恵だった。


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 パンダの白黒模様は、ほかの動物には恐怖を与えるという。

 それは孤独で穏やかな(熱量を無駄に消費しないようパンダはよく眠る)この生き物を敵から守るために、自然が与えた異形なのだ。

 一方人間は、自然界で生きうる数十倍もの数が、この地球に生息するようになった。
 それを可能とするため、文明はあれやこれやを強引に考えだすが、そのあれやこれやが、地球そのものを今や危機に陥れている。

 絶滅すべきなのは、人間のほうだ

 しかしその人間が、パンダをかわいいと感じるのは、パンダを鏡におのれを顧みよという声であり、救いのメッセージなのではないか。

 ――そんなことを木下は語った。

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 このパンダの野生の生態と人間との交流を描いた絵本の原画を、蔵の2階に展示した。
 
 1階には4メートルの高さをもつ大作「懺悔合掌図」を床に置き、木下が3年前に出した2冊目の絵本『はじめての旅』の原画を壁に並べた。
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 この絵本(『はじめての旅』)の内容がすさまじい。

 幼年時、木下の家は火事を出し、家族が崩壊する。母は子供たちを置いて家を出る。
 あるとき、少年木下が一人で家にいると、その母があらわれて一緒に行くかと誘う。二人は野宿しながら、富山から奈良までの長い旅をする。

 行き先は母の最初の夫の墓だった。

 現実にあった過酷な旅の記憶を、木下は長く失っていたが、映画「砂の器」のラスト近くのシーンを見て既視感を覚え、思い出す。

 その話を福音館の松井直に話すと、絵本にしましょうと言われたという。

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 2冊の絵本が、どこか鏡像のように思えたのは、展示をしていたときだった。

 木下の母が子を捨てたのは、パンダの母とは違う理由だったかも知れない。
 しかし母パンダも、子を捨て、子から去る理由を自分でも知っているかは分からない。

 同じなのは――母に去られる子の気持ちだ。

 絵本で子パンダは母を探し、見つけるが、その母は雄パンダと恋愛中で、二頭の交尾を見、なにごとかを悟って去る。

 絵本はそのパンダの心に、寄り添っている。

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 『熊猫的故事』の文(中国語)は中国生まれで、福音館のベテラン編集者である唐亜明(タン・ヤミン)が書いた。

 その唐と木下によるギャラリートークの最後に、私がその感想を語ると、木下は自分は2冊は別だと思っていたと前置きしながら、突然母を語りはじめた。

 後年木下は母と暮らすが、昔年のわだかまりから、その母に辛くあたり、暴力さえふるってしまう。

 しかしある画家から、その母の絵を描くようすすめられ、描く。

 その過程でモデルと自然に話をするようになったが、そのようにして母と向き合った時間があって、
 今の自分がある。
 
 そう思う、と。




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 「風」と題された、若い女性をモデルにした最新作が、展示直前に出品作に加えられた。

 感動した。

 子を捨てた母を、まるでその子が、自ら意志と力で産み直したかのような瑞々しさ。
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12月18日まで






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砂丘館は毎日夜9時まで開館している。

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閉館し、戸締まりをして勝手口を出ると、外は真っ暗だ。

ガーデンライトやとなりのマンションの灯、裏山の上の街灯などが、その周囲だけをほの明るくしている。
納屋の脇から駐車場に回る細道は足元が見えない。

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「夜の森は上を見て歩くのです」

と、知人のSさんが、愛読書だという上橋菜穂子の「守り人」シリーズの話をしながら言った。
Sさん自身、体験があるのだという。木々の切れ目で獣道が見える。いっぽう足元は目ではなく、足裏の感触で歩く。
それが、正しい夜の森の歩き方だ。

私たちは目を、視覚を、もっぱら頼りとして行動することに慣れてしまったけれど、森に生きる人間は、視覚ではない感覚を羅針盤にする――アボリジニの研究者でもある上橋菜穂子は、そのことをよく知っているのだ、とSさん。

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駐車場までの真っ暗な道は、怖いけれど、なぜか不思議なわくわく感もそこにはひそんでいる。
と、いつも感じてきた。
砂丘館に働くひそかな楽しみでもある。
その時刻の裏山の木々、蔵の屋根の向こうの枝葉などの不分明な影の美しさ。昼は遠い草や幹が、闇の中で、灯に濡れると、まるで目に触れそうな質感で迫ってくる。
雪の降った夜などは、闇の底の白の美しさに、ことにぞくぞくさせられたりもする。


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砂丘館で開催中のピーター・ミラーと白石ちえこの展示の、写真をベースに作られた平面を覗いていると、そんな夜の小冒険を思い出す。

写真は、カメラに「見えるもの」しか写すことはできないが、その写真を「銅版画」(ピーター)、「ぞうきんがけ」*(白石)というトンネルを潜らせることで、ふたりは見えるものの中に、見えないもの(人にしか見えないもの)を呼び戻そうとしているようだ。


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見る私が、見ることから遠ざかる――すると、森を歩く人の足裏の、あの違う感覚が目覚める。
勝手口から駐車場までの、旅が、ふたりの作品から、よみがえってくる。

写真銅版画(フォトグラビュール**)も、ぞうきんがけも、写真がまだみずみずしいものだった時代に行われた技法である。
そのような過去の手わざを、なぜあえて復活させ、用いるのだろう?

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カメラの語源はカメラオブスキューラ(暗い部屋/暗箱)。
今のデジタルカメラにもコンピュータにも、空間としての暗箱はすでにない、なくなった。ハイビジョンや液晶画面に、コンピュータのデスクトップに、氾濫する画像はますます鮮明に、くっきりしたものに尖っていく。
そのような時代に、私たちはいる。


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失われた暗箱の底に置き忘れられた、足裏の土や草の感触を――孤独に、夜の森の歩く人の感覚と感情を、
見ることが機械ではなく、人間の行為であることを、思い出そうとする人が、人たちが、ここにいる。

(O)



*ぞうきんがけ:ピクトリアリズム(絵のような写真をめざすこと)全盛期(1920-30年代)の日本で行われた技法。プリントした印画紙に油を引き、黒絵具を塗り、それを拭き取り諧調を調整する。その動作からつけられた名前という。

**フォトグラビュール(写真銅版画):写真草創期、画像を定着する技術がまだ未発達だったころ、ゼラチン膜を介して写真像を銅板に転写し、銅版画として刷る(印刷する)ことが広く行われた。近年この古典技法への関心が一部で高まり、ピーター・ミラーによれば現在、世界で50人ほどのフォトグラビュール家(?)がいるという。


特別展示 ピータ・ミラー 白石ちえこ
砂丘館 一階全室にて 10月30日(日)まで

同時期開催
ピーター・ミラー 白石ちえこ
新潟絵屋 10月30日(日)まで
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近くて、遠い。

向かいあっているのに、見えない。
となりあっていながら、隔てられたもの。
―「対岸」

そんなテーマで1年の準備期間を経て始まった阪田清子展(会場 砂丘館)も会期終盤。

ひとつぶずつ、阪田さんが手作業で積んでいった塩の結晶は、
日本海の海水から濾され煮詰められ、長い時間をかけて形となったもの。

その立方体が大事な手紙や金時鐘さんの詩の文字の上に置かれ、
意味から私たちを阻み、遠ざける。

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涙の結晶?
海の記憶?
人間の体内には約100gの塩が存在し、体重の3分の2は水でできているという。
塩からどんなイメージが生まれるだろうか

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――金時鐘さんの長編詩「新潟」は投瓶通信。
誰に届くかもか分からない手紙のようなもの。
もしかしたら、あるかどうかもわからない、未来の自分に宛てたものだったかもしれない。
対岸の新潟で、漂着物のように、阪田さんはそれを受け取った。

その文字の上に塩の結晶を置くとは…海に還そうとでもしているんでしょうか?…――

金時鐘の「新潟」を新潟で読むセミナー第1回の講師として来られた
細見和之さんは、そんな風に語られた。

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阪田さんの作品にあるその粒を見ようとすると、
自然と身をかがめることになる。
その先にある文字(意味)を見ようと塩の粒とおなじ目線に近づくと、自分の意識はどんどん小さく無になる。

小さくなった身体で何かを見ようとすること、向き合うこと、
見えないことをあきらめず、知ろうとすること、
ひとつぶずつの文字を読むように、塩の結晶を置くように、他者へと近づいてゆく…
そんな姿勢こそが、阪田さんが今回示したかったことなのかもしれない、とその姿勢になってみて初めて気づいた。

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隔たれても、見えなくなっても、
その意味があなたのこころに残るなら

そして、よもや燃やされたとしても、
本当の詩は消えない。
誰かがそう言っていた。

阪田さんの往復書簡もまた、誰かへと届いたことだろう。

(小)

阪田清子展 対岸―循環する風景
開催中~10月2日(日)まで 9時~21時
休館日:月曜日(9/19は開館)、9/20・23
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2016年3月15日から27日までの2週間、盛岡市中央公民館で「児玉晃の自画像と母の像」展が開催された。主催は「児玉晃の自画像展実行委員会」、共催は盛岡市教育委員会。
協力砂丘館、認定NPO法人新潟絵屋。

展示と撤収と会期半ばのギャラリートークのために都合3回、盛岡に行った。

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展示内容は一昨年砂丘館で開催した「50人のわたし 児玉晃の自画像展」に、北上市ほかが所蔵する児玉さんの母児玉澄(すみ)さんの肖像5点を加えたもの。

この母の像がすばらしかった。
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95歳から100歳を越えるまでの母の姿を、文字通りリアルに描いたものだが、その一点の裏には「私のモナリザ」と書かれていた。
しわに包まれて縮んでいく母の姿に、いとしさと美しさを、児玉さんは感じていたのかもしれない。

母の像の制作と重なりながら、児玉さんは病で体重が激減し、薬の副作用で変形する自分の姿を「リアリズム」のレンズを通じて記録するような自画像連作を開始し、
亡くなるまでの十数年で40点以上も描く。
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ときに顔をゆがめ、裸の人体標本になり、磔にされたキリストに自分を重ね、枯れたすすきとともにこぶしをふりあげたりする自画像群。

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人は消えて、絵が残る。その不思議を会場で実感した。

直接お会いした児玉晃さんと自画像の児玉さんが
今では同じような重さで、存在感で、自分のなかにある。

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連日60人以上の方々が絵を見に来て下さり、新聞にも紹介され、盛岡の美術館からのうれしい反応もあった。
新潟、東京、盛岡と児玉さんゆかりの3つの地で開催できた自画像展。

すべては児玉美子さん(奥様)の理解と支えがあってできたことだった。         
(O)
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砂丘館では
5回目となる、mikkyozの特別展示が終了した。

新潟でこのような映像(と音)の作品を作っているひとたちがいる、では、ご紹介しましょう、と

冬の寒い時期に蔵で始めた展示は、翌年から毎年作られる新作を私たちスタッフもその場で初めてみせていただく形が恒例となり、

数年前からは定点観測の意味合いを帯びてきた。

昨年の展示。赤子の顔から人相がにゅっと飛び出す話を書いた。

そして今年。


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会期終了後に話を聞くと、撮影機材を変えたり、上映をBlu-rayに変えたり、といった変化があったそうだ。

けれど、それ以上に顕著なのは見た人の反応なのである!

決して来場者数は多くないものの、毎回mikkyozを見ているひとからは、特に大きな反応があった。

それほどに、映像も、音も、洗練されていた。


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写真や映像のむずかしいところは、日常的な題材を取り上げると、他のひととの差異が見えにくい、というところにあると思う。

そこで大事になってくるのが、作り手個人の視点。

目の前に広がる風景から何を抽出し、作品化するにあたってどう味付けするのか…それを昨年は料理に例えて書いたのだが、

今回のmikkyozの研ぎ澄まされた表現をみたら、ふと、年末に長々とテレビで見た贅沢なお寿司の番組を思い出したのであった。

薄暗いお店のあかりの灯るなか、

白木のカウンターのうえにはつややかに寿司がのっている。

米と魚介。

見慣れた食材なのに、ちがってみえる。

何がちがうのか。

おそろしく手間暇かけた下準備の映像があいまに映し出される。

なぜにそんなに下ごしらえが必要なのか。



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想像するに、それは雑味を取り除き、素材の「持ち「味」」を引き出すため。

けれどその技や手間は表立っては見えない。

ただ凛と美しく、ほかの解釈を一切受け付けない、輝く寿司が、そこに佇むばかりだ。

技も手間も表に見えすぎるうちは、強い表現にならない。

一昨年までのmikkyozもどこか、表したいことのなかに技が見えすぎるもどかしさがあったが、

5回目の今回、彼らは若くして熟達した板前のようであった!

それまでにあった雑味が消え、ありふれた素材の中からもきりりと、純粋な味を引き出している。

そしてBGM的な位置で解釈されることの多い音。

leさんのつくる音(音響)は音楽やリズムにとらわれない、

たとえば飛行機が遠くに飛んでゆく時の音や、鳥の羽ばたきや、冬の寒い夜に風に運ばれてくる海鳴り、

たとえばそんな、言葉では説明できないような音の粒を、耳の中で鳴る振動を、

ぐっと鮮やかに描き出していた。

そして、余分な味をつけたすのでなく、そぎ落とすことでうまれた遠藤さんの映像。

鮮度高く極限まで極められたこの二つが、拮抗する空間である地点を生む。


そこに
mikkyozの味がある。

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それを体感することが、mikkyozを見るということだったのだなあと、

この5年でわたしの味覚も鍛えられたのか、そんなことを思ったのでした。


(小)




特別展示
mikkyoz

【会期は終了しました】2016.16日~17

会場:砂丘館ギャラリー(蔵)



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明日(11/29)で終了する早川俊二展は、長野(6月)札幌(7~10月)と旅をして、新潟のあとは酒田(2016・1/5~26 酒田市美術館)に旅立つ。
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ほかの3会場は、どこも鉄筋コンクリート造りで、長野市の北野カルチュラルセンターは、天井もおそろしく高い大ホールで、その3階まで絵が並んでいた。

なので、絵が大きいなと思ったものの、実感がわかず、新潟に出品の絵はかなりしぼらせてもらったにもかかわらず、到着してから、その大きさにあらためてびっくりした。

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結局、大きな作品を数点未展示とした。

絵と絵の間をそれなりにあけて、砂丘館の建物と絵の関係を大事にしたいと思ったからだ。

蔵のパネルも大きな絵の場所ははずして、柱を露出させた。絵がパネルからはみだしそうだったからだ。
そうして絵をかけ終わって、ふしぎなことに気がついた。見慣れた柱がいつもと違ったように見えるのだ。

なぜだろう??

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長野の展示を一緒に見た砂丘館の<小>さんが、早川さんの絵の「しもふり」に引かれるという感想をもらしていた。しもふりは、明色や暗色、いろんな色が小混ぜになった様を言う言葉だが、パレットナイフで何度も何度も絵の具を重ねて生まれる早川さんの絵肌は、なるほど「しもふり」である。
ギャラリートークのとき、ちょっと点描のようでもありますね、と早川さんに言ったら、タッチが単調になる点描の欠点を話され、スーラは素描があんなに素晴らしいのに、油絵がつまらないのは、そのことと関係があると、目を開かされるような発言をされた。

早川さんのタッチは、たしかに、なるほど「点」ではない。

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その点ではない「タッチ」に目を近づけて、思いがけずそこに「茶色」を発見した。

遠目では、あまり気づかなかった色だけれど、ほとんどの早川さんの絵には、茶色、または褐色が織り込まれている。
この褐色ー「茶色」が、どうやら淡い紫や青や灰色を、物の固有色から解き放つ作用をしているようでもある。
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そして、その褐色が、絵の外にまで波動を広げて、柱や、床や、木造空間のあらゆる場所にひそむ茶色ー褐色を共鳴・生動させているのだと気づいた。

しかも、建築後83年を経過した砂丘館の木部(主たる茶色部分)は、汚れたり、変色したり、さまざまに傷ついたりして、これまたどこも微妙で雑多な「しもふり」になっているではないか。

絵と建物にひそむ、茶色のしもふり同士が、ひそかに会話(チャット)を交わして、砂丘館をにぎわわせていたのだった。
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ちなみに…
褐色を茶色と言うのは、茶を染料として用いると、その色になるからだとのこと。

酒田市美術館の壁は大理石だという。
今度はどんな共鳴が起きるのだろう?
見に行ってみたい。

酒田市美術館
                                  (O)




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突然ですが私は田舎の生まれなのですが、

そのおかげで、田舎の空気がどんなものであるのか、よく知っている。

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田舎の共同体というのはアメーバのようなものなんである。
大勢いるような人の集まりも、この結びつきの中ではひとつの生命体のようなもので、そしてひとつの感情を共有している。

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図と地であれば、地である。

土台の、根っこの、ありのままの部分で、生まれた時から毎日同じ人と顔を合わせてばかりいるから、田舎の人付き合いは地が出るんです。

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図とはおそらくペルソナであろう。

よそゆきの社交の顔。腹の中も素性も知れない人と、なんとか感じよく交わるため、にゅっと自分のある一部を突出させる心持ち(またはその反応状態)のような気がする。

それで、昨今の写真というものは、どうも図ばかりなのであります。それが面白いこともあるけれど、たぶん大部分はそうでない。「表現」という名のもとに、想定された範囲内の自分および被写体を転写する。なんだかそういうものばかりを見せられていると、う~ん…、というお腹いっぱいな気持ちになるのです。



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それで、角田さんの写真はというと、これが「地」なんだなあ~。「地」のひとの笑顔。「地」のひとの寝姿。「地」のひとの酒飲み会。そして時に「地」のひとのひとり佇む姿。

ただ、懐かしい、昭和の、いい時代だった、写真ではない。

これは同じ共同体で「地」を共有する角田勝之助さんだからこそ引き出せた、「地」のひとびとの暮らし、姿。だから厚みがあり、写るひとの深さが伝わる。見ているとこちらの心までがほぐれ、その中にはいっていきたくなる。


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「なんだペルソナッテ?おれは、おれだで」
そんな声が聞こえてきそうな、
地と地でつながる金山の村の肖像。その感情は、ゆたかな笑いの連鎖で結ばれている。

(小)

2015年地域映像アーカイブ】
特別展示・角田勝之助の写真
村の肖像Ⅰ&Ⅱ&Ⅲ展

主催:砂丘館、新潟大学人文学部、新潟大学旭町学術資料展示館
企画:新潟大学地域映像アーカイブセンター

2015106()25()
9時~21時 観覧無料
砂丘館ではフォトアーキビストの大日方欣一さんがセレクトされた昭和20年代~40年代の写真約100点を展示しています。
同時開催の新潟大学あさひまち展示館では、10/1511/1まで角田勝之助さん撮影の動画を上映中です。
http://www.sakyukan.jp/2015/09/2953

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