霧の正体【塩﨑貞夫展】



 塩﨑貞夫の絵を最初に見たのは、1990年代だった。
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 まだ新潟市西堀通りのコーリンビル時代のアトリエ我廊の個展で、画家にも初めて会ったのだったと思う。国画会(国展)から離れて、もう20年以上たっていた時分だった。と今は分かる…が、そのとき私は勘違いして、まだ国展に出されているか、つい近年まで出していたのだろうと思い込んでしまった。
 そう錯覚した理由はいくつかあるけれど、ひとつは、塩﨑の絵に、たまたま私の知っている国画会の松田正平、喜多村知、川北英司といった画家たちと、なんとなく共通するものを感じたせいだった。
 塩﨑が国展に初入選したのは1956年である。その2年前には、やはり新潟の新発田出身であり、生涯を新発田で過ごした画家佐藤哲三が44歳で亡くなっている。画廊で塩﨑に佐藤の話をした。すると塩﨑も何かを応えてくれた。それでますます塩﨑貞夫=国画会の画家というイメージが固定してしまったのだったかも知れない。多分その個展か、次あたりの個展で、五重塔の絵も目にして、新発田市の出身で奈良の風景を得意とする国画会の画家高橋美則が連想され、固着はますます補強されてしまった。

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 今回の遺作展のために町田市の家を訪ねて、残された絵を見て、国画会出品作がほとんどアトリエにはなかったこと、残る数点の出品作が思いがけない抽象の作品だったことを知った。

 思い込みを、修整しなくてはならないと、やっと気づいた。

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 2000年代(塩﨑の60代後半から70代)にも、塩﨑は時々新潟市に来ていた。

 2005年にオープンした砂丘館に、しばしばひょっこりあらわれて、その都度、ずいぶん話を伺った。今にして思えば、どうしてもっと絵について聞いておかなかったのかと悔やまれる。
 ――むこうは気づいていなかったかもしれないが、私はその当時、塩﨑の絵の核、あるいは芯ともいうべきもの、少なくとも今そう思えるものをしっかり感じとっていなかったため、質問を発するまでに至れなかったのだ。
 …もっとも聞いたとしても、はにかみやの塩﨑が、それに答えてくれたかは分からないけれど。

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 90年代に絵を見たときも、もちろん感銘はあった。

 しかし、その印象が、ほかの画家への連想に短絡することで、その絵の、<その絵だけのもの>に、十分に接近できなかった。初めて接したアトリエ我廊の個展より、すでに20年ほども前から、塩﨑は東京銀座の文芸春秋画廊での隔年個展を続けていて(2005年まで続いた)、ほぼ毎回、美術評論家の藤島俊会が、新潟日報の「県人アート」欄に紹介し、その独自性をくりかえし指摘していたことを、塩﨑家に残された記事のファイルで知ったのも、ほんの数ヶ月前のことである。


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 松田正平や喜多村知を連想したということを、言葉を変えて、「絵の匂い」を感じたと表現してもいい。

 匂いの種類は違うけれど、一時期その絵を見て歩いた佐藤哲三の絵にも強烈にそれを感じた。佐藤の絵に1980年代半ばに集中的に親しんで以来、私にとって絵、ことに油絵は、見るものというより、むしろ「嗅ぐ」ものになった。

 その嗅覚が塩﨑の絵に反応した。

 絵の「匂い」とは、描かれた個々の形やイメージや色からというより、それらが渾然と混じり合い、相互に作用しあって生まれるもっと複雑で、曖昧な、いわば<霧>のようなものであり、時にそれは、絵肌、タッチ、マチエールなどの言葉で、部分的に言い表されたりするものでもある。それが塩﨑の絵に、濃厚にあった。東京の公募団体のなかでは、そういう空気感を大切に育んだひとつが、国画会だったというイメージが勝手に私の中に出来上がって、それを逆投射してしまい、画家個人から、というよりも、画家が身を置く環境に醸成されたものという錯覚につながった。

 まぎれもない、錯覚だった。

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 いま、砂丘館に40点近い大小の絵を並べ、毎日、それを「嗅いで」いる。

 改めて、あまり自分が使わない言葉ではあるけれど、塩崎の絵の匂いは一級のそれだと思う。一級とは、ここでは、薫きしめた香の移り香のようなものではなく、それ自身から発する匂い、体臭――表現の底辺から発するものという意味である。

 匂いという言葉が感覚的にすぎるなら、塩﨑のどの絵にも漂い、息づく生きた霧、と言ってもいい。

 この「霧」はおそらく、団体を離れ、画家がほかの誰にも支えられない個に立ち返っていく過程で、絵中に芽を出し、茎を、葉をのばしていったのだ。いま、私はそう考え、そのことで画家塩﨑貞夫の理解の大幅な変更を行っている。その作業の一環として、後半生40年の間に描かれた絵の、一見多様にも見えるモチーフをつらぬくものを、いくつかの文章で「死と鎮魂」や「死者との交流」などと書いたりしたけれど、実際に絵の前に立つと、それらもまた実際のこの霧の、匂いの質を、確実に言い当ててはいないという気がしてくる。

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 横たわる細い女の周囲に広がる、ゆるやかで捉えがたい人々の表情の奥の、波のしぶきのような桜や、桜のような波しぶきや、山から立ちのぼる、時に山そのものを消してしまいさえする、箸墓古墳や五重塔をこの世の物体ではなく実質化された幻影のようなもの昇華させてしまう――この霧の正体は、見分けがたい。

 容易に言葉にはさせない抵抗感がある。

 けれど、そのどれにも、まぎれもない、ひとつの同じ匂いが、手ざわりがあって、それがくりかえし、私を絵の前に呼び返す。

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(O)


砂丘館にて 9:00〜21:00
休館日 月曜日(3月20日は開館)

同時期開催
新潟絵屋 11:00〜18:00 (最終日 〜17:00)
 

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by niigata-eya | 2017-02-27 20:41 | 砂丘館 | Comments(0)