熊猫
は、中国語でパンダのこと。
熊猫的故事はパンダのものがたり。
瞽女(ごぜ)小林ハルやハンセン病の詩人桜井哲夫の顔を、克明なリアリズムで、皺のひとつ一つまで描く鉛筆画家木下晋(すすむ)。
1年ほど前、その木下が、パンダの絵本を製作中と聞いたときは驚いた。
パンダ=かわいいというイメージと、彼の絵が、あまりに異質に思えたからだ。
しかし、こちらがあっけにとられている間に、木下は中国四川省で見たという野生のパンダについて、熱く語りだしていた。
パンダは絶滅危惧種と言われている。
しかし、本当に絶滅危惧種というか絶滅していいような存在が人間で、その人間がパンダをかわいいと感じるのは、人類に与えられた救いではないかと自分は思う。
???
最初、意味がよく分からなかった。
得心がいったのは、彼が実際に中国で出版した絵本『熊猫的故事』の原画を砂丘館で展示し、改めて詳しく話を聞いたときだ。
パンダは二頭の子を産むことがある。
すると母パンダは迷わず、一頭を捨てる。捨てられた子は死ぬ。
残ったもう一頭をかわいがって育てるが、その子が一歳半になると、とつぜん母は立ち去ってしまう。
氷河期を生き延びたパンダは、かつては肉食だった。
しかし厳しく長い時代を生き継ぐ間に、他の生き物が食べない竹を主食とするようになった。
栄養価の低い竹は大量に摂取しなくてはならず、一頭が生きるには広大な面積が必要になる。
母に去られたパンダは、その広い縄張りで 孤独に生きる。
そのようにして、限られた広さの世界と、パンダは折り合って生きる。
その生態は、長い歴史の中で、パンダが身につけた智恵だった。
パンダの白黒模様は、ほかの動物には恐怖を与えるという。
それは孤独で穏やかな(熱量を無駄に消費しないようパンダはよく眠る)この生き物を敵から守るために、自然が与えた異形なのだ。
一方人間は、自然界で生きうる数十倍もの数が、この地球に生息するようになった。
それを可能とするため、文明はあれやこれやを強引に考えだすが、そのあれやこれやが、地球そのものを今や危機に陥れている。
絶滅すべきなのは、人間のほうだ。
しかしその人間が、パンダをかわいいと感じるのは、パンダを鏡におのれを顧みよという声であり、救いのメッセージなのではないか。
――そんなことを木下は語った。
このパンダの野生の生態と人間との交流を描いた絵本の原画を、蔵の2階に展示した。
1階には4メートルの高さをもつ大作「懺悔合掌図」を床に置き、木下が3年前に出した2冊目の絵本『はじめての旅』の原画を壁に並べた。
この絵本(『はじめての旅』)の内容がすさまじい。
幼年時、木下の家は火事を出し、家族が崩壊する。母は子供たちを置いて家を出る。
あるとき、少年木下が一人で家にいると、その母があらわれて一緒に行くかと誘う。二人は野宿しながら、富山から奈良までの長い旅をする。
行き先は母の最初の夫の墓だった。
現実にあった過酷な旅の記憶を、木下は長く失っていたが、映画「砂の器」のラスト近くのシーンを見て既視感を覚え、思い出す。
その話を福音館の松井直に話すと、絵本にしましょうと言われたという。
2冊の絵本が、どこか鏡像のように思えたのは、展示をしていたときだった。
木下の母が子を捨てたのは、パンダの母とは違う理由だったかも知れない。
しかし母パンダも、子を捨て、子から去る理由を自分でも知っているかは分からない。
同じなのは――母に去られる子の気持ちだ。
絵本で子パンダは母を探し、見つけるが、その母は雄パンダと恋愛中で、二頭の交尾を見、なにごとかを悟って去る。
絵本はそのパンダの心に、寄り添っている。
『熊猫的故事』の文(中国語)は中国生まれで、福音館のベテラン編集者である唐亜明(タン・ヤミン)が書いた。
その唐と木下によるギャラリートークの最後に、私がその感想を語ると、木下は自分は2冊は別だと思っていたと前置きしながら、突然母を語りはじめた。
後年木下は母と暮らすが、昔年のわだかまりから、その母に辛くあたり、暴力さえふるってしまう。
しかしある画家から、その母の絵を描くようすすめられ、描く。
その過程でモデルと自然に話をするようになったが、そのようにして母と向き合った時間があって、
今の自分がある。
そう思う、と。
「風」と題された、若い女性をモデルにした最新作が、展示直前に出品作に加えられた。
感動した。
子を捨てた母を、まるでその子が、自ら意志と力で産み直したかのような瑞々しさ。
(O)
12月18日まで